LIGHTS

2019/10/30 00:48

 乗り換え案内のアプリを開いて、到着地に「海浜幕張」と入力する夜は幸せだ。キャンディーボンの設定を確認する時間には、もっと濃い幸せが凝縮されているかもしれない。休日の前日が幸せだ、そうナヨンさんも言っていた。幸せな時間の中にぎっしりと敷き詰められた多幸感に余計な隙間は用意されていなくて、「いま自分は幸せな時間を過ごしている」なんて思考は挟まってくれない。僕たちが幸せというものの実感を最も上手につかめるのは、すぐ先の未来にそれが約束されているとき、あるいはそれが終わった後なのだろう。これは、幸せな時間を終えたばかりの僕が書く、幸せの実感をつかむための思考の断章である。

 

2019/10/29 04:00-18:00

 僕がTWICELIGHTS幕張公演という約束された幸せに浮かれ、キャンディーボンZを手元でクルクルと弄んでいたのは当日午前4時頃の話である。Twitterでは冗談半分に自分のことを遠足前日の小学生などと喩えていたが、翌日 (と言っても日付としてはすでに当日である) のことを色々と考えていた結果頭が冴えて眠れなくなっていたのは事実だった。今まで参加してきたハイタッチ会やライブの前日よりも顕著だったように思う。本当に小学生と変わらない自分に呆れながら、眠る気のない身体をベッドに預けた。今振り返ってみれば、浮かれすぎていた。そう思う。

 幕張に向かう道では、強くはないけれど、傘を差さないと稀有な目で見られるくらいの雨が降っていた。雨音とともにフェードアウトする『Feel Special』のMVが大好きで、今日という日にはちょうどいい情景のように思えた。それから、東京ドーム2日目の帰り道でこんなような雨に濡れたことを思い出した。あれももう半年以上前のことか。次々に訪れるカムバやイベントのたび、TWICEを待ちわびては熱狂することを繰り返していたら、あの日から今日までの時間はスルスルと流れていった。

 各駅停車の京葉線に長いこと揺られたり、グッズ購入ついでのくじ引きが案の定外れたりしたことは、そんな時間軸に立つ僕にとってはほんの些細な一幕でしかない。17時の開場に少し遅れて、僕は幕張メッセの9-11番ホールへと入場した。偶然にも、荷物検査が行われたゲートは僕にとって思い出深い場所だった。3年前のクリスマスイブに、寒空の下でクリームソーダを飲んでいた自分の姿が蘇る。その日は、初めて好きになったアイドルの卒業前最後の握手会が行われていて、TWICEと出会う前の僕は、アイドルオタクをやめる決意とともにここで冷たいバニラアイスを飲み込んでいたのだ。そんな思い出の地を、アイドルオタクとしてもう一度踏みに来られて......非常に満足だ。これは僕の凱旋。

 今日の僕に与えられた座席はAブロックだった。ステージに最も近いブロック。ど真ん中というよりは端に近かったけれど、過去イチの引きだ。ただ、ここが自分にとって真の意味での良席だったのか、これは現在の僕も考えあぐねているところである。座席にまつわる話については、もう少しだけ後に語らせていただきたい。

 早く入場してしまったものの、当然ながら開演まで落ち着くこともできず、いつものことながらTwitterを開いたり閉じたり、ゴーゴーファイティンで遊んだり遊ばなかったりしていた。開演前最後のツイートを示しておこう。

 ふとしたときに『SWEET TALKER』を聴くと、キャンディーボンの光に包まれた東京ドームの光景を今でも思い出す。『One More Time』を聴けば、中央の高いステージに立つ9人の影が目に浮かぶ。僕は、今日の思い出も曲に詰めて持ち帰りたいと願った。さあ、いよいよ開演。

 

2019/10/29 18:00-20:30 

 TWICEは、あまりにも光だ。9人が目の前のステージに登場して間もなく、僕はそう思わされた。それは9人が9人であったこともきっと大きく関係しているのだろう。久々のシルエットに全身の鳥肌が立つ。あまりの急激な鳥肌に脳が発動条件を勘違いしたのだろうか、それが鳥肌の原因であるかのように寒さや温度の低下を僕に感じさせた。すぐ近くのスピーカーが発する音圧が、TWICEのパフォーマンスに合わせて僕の内臓を震わせ、息苦しさすら覚えた。TWICELIGHTSに照射された僕は、痺れそうな右腕で懸命にキャンディーボンZを振ることしかできない。

 僕が東京ドームで見た公演、#Dreamdayでの彼女たちは、その瞬間まさに東京ドームでの単独公演というひとつの夢を実現させたところであった。東京ドームのステージに立てていること自体に喜びを感じ、泣いたり笑ったり、それにつられて僕も泣いたり笑ったり、どこか感情を共有しているような気がしていた。しかし、今日は違った。彼女たちは、そこに立つべくして立っていた。目指すべき夢の舞台ではなく、その場所は完全に彼女たちの手中に掌握されている、もはやステージを制圧しているのだ。TWICEは光を放ちながら舞っていて、僕の共感を滑り込ませるヒビなどまるで見当たらない、完全無欠の存在へと駆け上がっていた。

 諦めなければ夢は叶う、もしかしたらそうなのかもしれない。ワンスの夢を応援します、ありがとうございます。夢なんて無いけれど、TWICEがそう言ってくれるんだったら、と3月の僕はなんとなく受け取っていた。一方で、今日の僕は、世界には二種類の人間がいるのだと思った。まばゆい光を放てる人間と、その光を浴びる人間。恒星と惑星。TWICEと僕。これは、ネガティブな話として言っているのではない。もちろん、光を放てる人間になれるならそれでいい。でも、わかりやすく光を放てなくても、夢を叶えられなくても、夢を持ち合わせていなくても、光を浴びることで生きようと思えるなら、それもいいかなという気がしたのである。僕はTWICEみたいになれないけれど、その光を浴びていられるのは幸せだ。光れないことは別に悪ではない。この光のもとにいたいと思わせてくれる存在に出会えたから、僕はなんとか今も生きているのだ。TWICEの天焦がすほどの光に貫かれながら、自分の生きる道を想った。

 浮かれすぎた人間が、これほどの強烈な光に照らされるとどうなるか。正直、頭の中がかなり真っ白な状態に近づいていたように思う。キャンディーボンを振り回しているだけだったはずのオタクがランナーズ・ハイに迷い込む。それはそれで恍惚感や興奮はあるのだけれど、例えば僕がシブヤノオトの番組協力で感じたあの現実味は、代わりにどこかへ遠のいて薄まっていた。あっという間に曲が通り過ぎていってしまうような、何か大事なシーンを見落とし続けているような、全ての瞬間に最高が詰まっているがゆえの焦燥感があった。なんだろう、高級料理の大食い選手権みたいだ。自分が受け取れる光量の最大値を浴びているから最高の時間だと感じていながら、許容量を超えたためにつかみ損ねてしまう光の粒子が常に発生しているようだった。

 そう、一回きりだとTWICELIGHTSをどうしても受け止めきれないのだ。TWICEの曲に合わせてキャンディーボンを振っている時間も空間も、間違いなく楽しいし幸せだ。コールが自然と口から出るくらいには音楽番組の動画を回しているから、それをいざ自分がやるとなれば当然ながら心地よい。FFの皆さんが良心的でネタバレをほぼ完全に回避できていたから、次にどの曲をやるかの予想もつかずにワクワクできるのもたまらない。しかし、だ。フワフワしていた足元をすくわれて、呑まれすぎてしまったように思う。何回行ったところで全てを吸収することはできないだろうけれど、もう一度、この美しく激しい光と相見えよう、そう誓った。

 幕張に降り注いだ光は、相変わらず突然20代の女の子たちへと姿を変える。というよりも、柔らかい光になる、といった感じだろうか。曲と曲の間の絶妙にグダグダなMCだったり、終演付近のメンバーどうしがわちゃわちゃ絡む場面だったり、本当に好き。前も言ったけどね、本当に好き。これを見に来たんだよな!という謎の確信さえ持ってしまうほどに。最後だからかもしれないけれど、9人が笑いながら踊ったり小突いたり手を振ったりしているあのシーンが、ライブの思い出として脳裏に強烈に焼きつく。この景色はまたいつか思い出す日が来るだろうなぁ、なんてぼんやり考えているうちに、幕張公演は終演を迎えた。僕は何かの曲に今日の思い出を詰められたのだろうか。

 

2019/10/29 20:30-20:50

 会場の外へと吐き出された僕は、まだどことなくぼんやりしたままの頭で今日を振り返り始めた。そこでようやく気がついたのだ。僕がTWICEのパフォーマンスを見上げるように眺めたのが初めてだったことに。幕張メッセの平坦なホールで公演が行われた関係上、実質全ての座席がアリーナだった。アリーナ席に入ったことがなかった僕は、初アリーナだったわけだ。それから、先に書いた通り、座席が端に寄っていたことで、横からのパフォーマンスを見ているような時間が長かった。よく見ていた音楽番組は正面からの絵ばかりを映す。フォーメーションも正面から見ることが当然想定されて作られいる。座席の位置の条件が、どれだけたくさん聴いてきた曲でも、見たことのない角度の「新たな情報」として僕の目にTWICEを映したのだ。

 ただでさえライブという特別な空気の中で、見慣れない構図のTWICEを前にした僕の視覚はどこを見るべきか彷徨っていたのだろう。スクリーンを見るか、本人たちを見るか、ということを考える瞬間はしばしば訪れると思うけれど、確かにそれと似た迷いが起きていたのを思い出した。例えば、縦一列に並ぶフォーメーションではかえって先頭以外がよく見えることになるから、かなり視線が安定しなくなる。そりゃあ、何かを取り逃がしたような感覚も生じてしまうか。

 僕がその場所からTWICEを眺めていたことは、カバンの中の銀テープが証明してくれる。隣に座っていたお姉さんが、一枚も持っていない僕に後から渡してくれたものだ。パーン!と銀テープが発射されたとき、頭上のそれを掴んだり、足元のそれを拾ったりすることもせず、僕はTWICEを見ていることしかできなかった。この瞬間の特別な幸せを逃さないように。ワンスの波に流されながらたどり着いた海浜幕張駅の照明は、いつもより弱々しくてぼんやりしているようだった。

 

2019/10/30 04:25

 就寝準備を挟んで書いていたら、だいぶかかってしまった。なんで今日もこの時間まで起きているのだろうか。幸せな時間が過去のものになったせいで、当然24時間前とはだいぶ心持ちが違う。僕の思考と同じようにまだ整理の済んでいないキャンディーボンやグッズに囲まれながら、ここまでを書いてきた。何かを考えることが癖だから、始まる前も、公演の最中も、終わった後も、いろいろなことを考えた。そのうえで、散らかったままの頭であることは承知で、ここで最後に言うべきこと、言いたいことはたった一つ。東京ドームで、僕はまた光を浴びたい。