色づく空模様 Tropical yeah

 先週末の空について書こうと思う。

 

 東京公演2日目は、緩めの半袖がちょうどよく、それでいて飛田給駅からの道のりを歩いたくらいなら汗ばむまではいかないような、風の心地よい外気だった。開演直前の興奮と慌ただしさを抱えながらごった返す、これまで以上に大量のワンスたちの間をすり抜けながら、アリーナ専用の入場ゲートを目指す。アップグレードなるシステムに感謝。

 5年という時間をかけてようやく辿り着いたと言いたいそのアリーナ席は、空の下だった。屋外から屋外への移動を「入場」と呼ぶのはどこか不思議な気持ちになる。肌に触れている空気をそのままにステージの近くまで歩いて行けることはとても新鮮で、この感覚こそがここに書き残そうとしている想いの全てと言ってもいい。

 

 そう、スタジアム公演の魅力は、なんというかこの切れ目の曖昧さにあると思う。

 例えば、東京ドーム公演が開演する瞬間には必ず照明が落とされる。同時に客席から歓声が上がることからも分かる通り、会場全体が暗くなることこそが言わば始まりの合図であり、そのタイミングで我々は明らかに日常から切り離される。ごく普通の日常生活においては、突然闇と歓声に包まれることはそうそう起きない出来事であり、この一瞬で特別な異空間に飛ばされていると言ってもいい。

 逆に、公演が終了して再び会場が明るくなったときの、全身の筋肉がフッと緩むような感覚、あるいは気圧差によって会場から押し出されたときの、明るかったはずの空が知らぬ間に夜を迎えているという事実。そういった現実世界へと「帰る」ことを感じさせるひとつひとつも、公演中は自分自身が普段の日常から隔離されていたことを示しているように思う。

 しかし、スタジアム公演はドーム公演とは違っていて、自分の日常や人生を完全には切り離さないままに存在する空間のように感じられた。TWICEがすぐそこに存在しているのに、常日頃から小さな画面で見ているパフォーマンスが目の前で披露されているのに、そうなのである。そして、自分がそう感じられるのは、きっと空のおかげだと思った。

 

 わかりやすく対比的に語るのであれば、まず大空の下では開演の瞬間に会場を闇に包むことはできない。照明の力で強制的に異空間に飛ばされるのも、情緒が壊れてしまいそうな衝撃を伴うのでそれはそれで最高なのだが、スタジアム公演では、普段自分の周りに流れている時間の延長線上で、じわじわと特別な時間に流れ込んでいくような気持ちがした。システムの力ではなく、TWICEのパフォーマンスに魅了されることによって『READY TO BE』の世界に引き摺り込まれていくのが本当に心地よい。

 パフォーマンスの質感についても、違いがあるような気がする。今回の公演では、バンドの演奏にいたく心を揺り動かされたのだが、きっとこれもスタジアムだからこそ味わえる部分があった。音が会場に鳴り響くというよりも、一度自分の体内を通った後は空へと吸われて消えていくような、そういう爽やかさによる良さだった。その音色はもはや「音漏れ」ではなく当たり前に会場の周りには届いているはずだし、派手に打ち上げられる花火も会場外の世界からだって目にすることができる。そうやって内と外が空間をともにしていることで、もはやこの公演はそこにいるワンスだけが知っている世界ではなくなり、いまここでTWICEとの特別な時間が流れているんだぞ!と、誰かに大声で自慢しているみたいな清々しさを覚えるのだ。

 そして何より、会場の明るさが空によって決められるということが、キャンディーボンの役割と意味合いをも変えているようだった。これは帰り道にツイートもしたのだけれど、キャンディーボンが自然とTWICEを照らす光になっていく情景は心の底から美しかった。光を目立たせるために会場を暗くするのではなく、会場が暗くなるから光が目立つという、いつもとは反対のこの因果関係が楽しい。開演から時間が経ち、手元の光が強まっていることにふと気づいたとき、誰かの意思や人為性は伴わず、自然現象にただ身を任せることで、TWICEのいる特別な空間の一員になれることの素晴らしさを強く感じた。

 

 こうして考えていると、空の色がシークバーみたいに思えてくる。

 何かの拍子に空を見ると、確かにいつも通りに時間が経過していることを実感できるし、あとどのくらいでこの幸せな時間が終わってしまうのかをなんとなく悟ってしまう。時間を可視化するその有り難さと無情さが、シークバーと同じように思えたのだ。そういう形で時間が目に見えるからこそ、普段と同じ現実味のある時間が流れているのだと知れるし、逆にその時間が普段の何倍もずっしりと凝縮された重みを持っていることも感じられたのではないだろうか。

 だからこの公演について、時間を忘れてしまうようだとか、夢のような時間だとか、そう表現しても間違いではないのだけれど、公演を終えて抱いた感覚はそれとは少し違っていた。なにせ、変わっていく空の色が、常に時間が流れているということを思い出させてくれるから。そして、会場に入る前の自分に流れている時間や空間と、この公演が地続きであることを感じさせてくれるからである。地続きであるという感覚は、目の前で展開されている素晴らしい音楽とパフォーマンスが、そこにしかない特別なものという見方だけではなく、いつも見慣れた景色の中でイヤホンから流している音楽の「本物」なのだ、という捉え方を与えてくれて、ようやく出会えたという喜びを増してくれる気がする。

 

 ここに書いたことはシンプルにスタジアム公演の良さであって、もはやTWICEに限ったことではないだろうし、多くの人が多くの場所でそれぞれ感じていることなのだと思う。ただ重要なのは、空の下でいつも聴いている曲を浴びられるということで、それは僕にとってTWICEでしかあり得ないことである。TWICEのスタジアム公演だからこそ、ここまで書き連ねたことに気づかされ、TWICEの楽曲とパフォーマンスだからこそ、自分自身の6年近くの日常を感じさせられたことだけは間違いない。

 さらに遡って一週間前の、雨空のステージを経験した人たちはきっと、僕には感じ取りようもない何かを味わったはずで、それゆえに晴れて良かったと100%の単純化ができるわけでもない気すらしている。とはいえ、種類は違いながらも、それもまたスタジアム公演であることが生み出した感情として、何かしらの共通部分を持っているように思うし、その人たちが少しでもこの僕の想いのどこかに共感してくれていたとしたら、こんなに嬉しいことはない。

 それから、今までは僕にとって「TWICEの公演」とイコールであったドーム公演も、今回この空について知ったことで、その違いから新たな良さの発見が生まれるような気がしてワクワクする。追加公演に参戦できるかはわからないけれど、次に僕とTWICEとワンスとが一堂に会する場所がどこであれ、さらにもう一段階楽しめそうだと思えた。

 

 アリーナの空気を身体の周りに引き連れたまま、会場の外に出る。興奮と寂しさを抱えながら歩く夜空は分かりきった紺色をしていて、今度は非日常から日常へと自分が溶け出していくようだった。この気持ち So Lovely!