『Fake & True』

THE STORY BEGINS

 曲名をタイトルに掲げた文章を一度書いてみたいと思っていた。そういう理由だから、このタイトルはTWICEの『Fake & True』の話をする意思を表すための看板ではない、ということをまず始めにご了承願いたい。そう考えると、このタイトルはある意味で”Fake”ということになるのだろうか。では、MVが公開されたばかりの新曲をタイトルにぶら下げておいて代わりに何の話をするのかというと、そう、TWICEの話である。ハロウィンファンミの余韻が冷めやらないTLを眺めながら、徒然なるままにこの文章を書き出した。正直、誰かの撮った動画だけでは癒せない渇きもあるけれど、まあそれはそれとして、4周年という節目にTWICEの話をしなかったらいつするの?......いや、みんな毎日話してるね。

 さて、僕たちは日頃から2種類のTWICEを享受している。と少なくとも僕は思っている。アジアNo.1最強ガールズグループとしてのTWICEと、20代の9人組の女の子としてのTWICEとでも表現すれば、言いたいことはおおよそ伝わってくれるはずだ。より即物的に分類するならば、ステージの上やカメラの向こうと、それ以外。ああ、ここから先「前者」や「後者」という表現をする場合はこの順番に準ずるというルールを定めておく。一応具体例をあげよう。「TWICEのセンターイムナヨン(わけわからんナヨンさんの画像添付)」みたいなツイートを目にしたことは一度くらいあると思う。ナヨンさんは何かとわけわからん画像が多いので。これは、ツイート本文が前者のTWICE、画像が後者のTWICEから引っ張られているってことを言いたい。

 まあこれはTWICEに限った話ではない。限った話ではないんだけれど、TWICEのアイドルグループとしてのパワーが凄まじいこと、そして、多忙なスケジュールの中でも頻繁に更新されるvliveやinstagramの存在が、この2種類それぞれの姿をくっきりと浮かび上がらせる。僕はTWICEを好きになる以前にも別のアイドルを推していたのだが、正直あまりこういった両側面を区別せずに考えていた。というか考えることができていた。しかし、一体TWICEのどこが好きなのかと考えて、脳のあちこちでバババッとフラッシュする要素を整理しようとしたときに、今までとは違って、まずはこの分類が不可欠であることに思い当たったわけだ。

 具体的に何の話をするか明言しないままここまで進めてしまった。そうだな、一言で言うなら、僕のTWICEの見方、といったところだろうか。アイドルの真の姿って何だろう、みたいな話は、アイドルを好きになったら誰しも一度くらいは考えるはず。それをさっきの2種類のTWICEという切り口から僕なりに考えたものをここにまとめてみようと思う。忘れた頃に掘り返すのもあれだけど、この文章の題名を今一度思い出してほしい。この2つの側面って、一方はFakeでもう一方がTrueなんですかね?それとも......。

 やたらと前置きが長くなってしまう、僕の悪い癖。

LOVE FOOLISH

 TWICEのアイドルとしての魅力、あるいはTWICEの人間的魅力、この辺りはたくさんの人がたくさんの言葉で綴っているし、言葉にしていなくとも個々人が心の中に抱いていることだろう。それを改めて説明しようという場ではないので、とりあえず両方の魅力があるよね、という共通理解さえ構築できれば大丈夫だ。

 綺麗な衣装を着て、派手なセットをバックに、完璧なフォーメーションで歌いながら踊り、踊りながら歌い、バチバチにキマったTWICEがいる。トロフィーや花束を抱えてスピーチをしたり、新曲のインタビューで「マニマニキデヘジュセヨ〜」と手を振ったりするTWICEがいる。かたや、なぜか何時間も車中に籠ってワンスのお悩み相談を受けたり、今にも日を跨ぎそうな時刻にホテルのルームサービスを食いまくったりするTWICEがいる。9人が同じ画角に集まることで、生配信中なのにギリギリ統率が取れなくなるTWICEがいる。これらを踏まえて、意地悪な質問と分かりながら自分に問いかけてみる。どちらがありのままのTWICEなのか、どちらがTWICEの「真の姿」なのか、と。

 この質問への回答は、このままだと自明に思える。そう、そもそも、定義づけの段階で僕自身が勝負を決めてしまっているせいだ。ありのまま、というのは飾らない状態、アイドルであるかどうかなど関係ないひとりの人間としてのフラットな状態、そういうものを一般に指すわけだから、それに該当するのは後者ということになる。数学の問題だったら解答に「定義より明らか」だけ書いてありそう。言ってみれば八百長だ。でもあえて、思考を先に押し進めるためにこの八百長に一回乗っかってみることにする。すなわち、前者のTWICEを相対的に”Fake”と認める立場にとりあえずは身を置く。勘のいい方は、「相対的に」という表現で僕が次に何を言おうとしてるのか分かったかもしれない。ここで考えるべきポイントは、後者のTWICEを無条件に”True”だと言っていいのか、という点だ。論理的に考えて、それを認めることはできないし、そこまでのオプティミストにはなれない。

 できない、なれないとバンバン否定口調で展開してしまっているけれど、HappyになるためにはBreakthroughが必要で、今は穴を開けるための壁を建設しているフェイズとでも思ってほしい。まあそれはともかく、後者のTWICEの話を続けよう。僕が2種類のTWICEと最初に言ったとき、実はさらっと条件付けをした。それは、「僕たちが享受している」ということだ。つまり、いかにありのままに見えたとしても、僕たちの目で見ることができる場である、というのが最低条件として設けられていて、相対的には自然な姿に見えても、本当に自然な姿でその場にいることはおそらくないだろう。あれは『Heart Shaker』リリースのvliveだっただろうか、他の場面でも何度か言っている気がするけれど、ナヨンさんが「今日は宿舎にいるときの私たちみたいだ」という旨の発言をしていたのが記憶に残っている。つまり、つまりだ、当たり前の話だけど、いつも見ているTWICEは少なくとも宿舎にいるときのTWICEではないということになる。要するに、後者のTWICEも”True”と言いきることは難しい。

ONLY YOU

 じゃあ、僕たちが見ているのは全て”Fake”なのか。そういう主張を立てること自体は、ここまでの僕のように説明を組み立てれば可能であると思う。アイドルとはそういうものだ、と理解している人も多いだろうし、そういう言説を見かける機会も少なくない。でも、僕はもう少し考えたい。そもそも、ひとりの人間の”True”と”Fake”ってなんなんだ、と。この文章における”True”に対応する言葉として「本当の自分」という表現がある。もちろん対義語は「偽物の自分」だ。世間一般に使われがちな言葉だと思う。基本的に「本当の自分」でいることは自由なまま輝ける良い状況で、「偽物の自分」はヒール役として登場する。

 大事なことを言い忘れていたけれど、この文章での”True”や”Fake”は、『Fake & True』の歌詞でのそれとは意味合いがずれている。歌詞での”Fake”って、自分に言い聞かせる限界、自分を騙すための殻、みたいな話ですよね。ざっくりしているけれど、対自分を念頭に置いた上での破るべき殻。一方で、この文章で言及しているのは対他人の”Fake”なので、破るべきとは言えない。社交辞令のようなコミュニケーションもこちらには含まれるので。それで言うと、”True”はわりと近い意味で使っている気がする。言い換えるなら「本心」ですかね。

 さて、外面を取り繕っていることを”Fake”あるいは「偽物」と表現することは正しいことなのか。僕は他の人と一緒にいるとき、相手によって少なからず取り繕って見せる顔を変える。加えて、見せる顔を変える人がほとんどだと思っている。そうすると、ひとりの時間以外「偽物の自分」でいることになる。どんなに親しい間柄でも話せない秘密が存在することはおかしいことではなくて、その段階で100%「本当の自分」でいるとは言えない気がする。言ってしまえば、時と場合によって程度は違えど誰しも”Fake”として毎日を過ごしているわけだ。つまり、アイドルに限らず、他人の”True”と相見えることなんてできっこない。さっきまでの”Fake”の定義に則るならば。

 別の角度から考えてみよう。アイドルも、僕たちも、相手によって見せる側面を変えているが、誰にどの側面を見せるか、というコントロールは自分の中に常に存在している「本当の自分」が舵を握っている。つまり、他人に見せたどんな側面も「本当の自分」の思考によってそれが適切であると選び出された側面だということになる。例えば、僕は親しくしている同級生にもTWICEの話はあまりしない。でも、そのときの僕がTWICEを好きじゃない僕に変身しているわけではないじゃないですか。TWICEを好きな自分が、その一面を見せないことを選んでるんです。良好なコミュニケーションという観点から。

 自分自身でさえも、これは本物ではないと感じてしまうような他人へ向ける顔や振る舞いも、それが適切だと選んでいる「本当の自分」がバックには控えているわけだから、そうやって自分で考えて行っている顔や態度の使い分けを「偽物の自分」と評してしまうのはもったいない。それだって間違いなく自分の一面、「本物の自分」の一側面であることには変わりないと僕は思う。それは自分を省みたときだけではなくて、他人に目を向けたときもそうだ。家族や同級生、知り合いや電車で乗り合わせただけの人なんかも含めて、彼らは僕に見せるべき顔を選んで見せている。そして、TWICEも。

 いや、わかってますよ僕だって。”I know I can’t”ですよね言わば。一般的な話として、アイドルの皆さんの生活は大部分が僕たちの視界の外で流れている。そこでどんな顔を見せているかはわからないし、僕たちが見える範囲からその人の内面を言い当てようとしても無理な話だ。本音と偽り、どっちなのかを全部見分けることだってできない。でも、僕たちは内面の話をしてしまうし、なんなら好きになる。それは、一人一人が個性的な側面を見せてくれるからだ。見方によっては”Fake”だったとしても、その個性はその人自身の核である”True”が選んで僕たちに見せていることには間違いない。だから、「アイドルとしてのその人」を好きになったとしたら、さらには推したいと思ったら、その側面を見せる判断をしてくれた「ひとりの人間としてのその人」まで推しているってことなのかもしれない、よね?そう、Believe in your intuition.

TRICK IT

 もう話の流れはわかったと思うんだけど、結論を急がずに少しだけ脱線したい。というか、ダヒョンさんの話をしたいのでします。ずっとしたかったので。どうでもいいけど、いや、決してどうでもよくはないんだけど、僕の推しは周子瑜さんで、ツウィペンを名乗りながらTWICEを応援している身である。それでも、あえてダヒョンさんをピックアップして文章を書くからには、もちろんそれなりの理由がある。

 ノリノリとかムードメーカーとか、そのあたりの修飾語で形容されることの多いダヒョンさん。確かにそう言われるような言動を見せているし、ファンへのサービス精神も特に旺盛なメンバーだと思う。ただ、ワンスの前にいないときはもう少しおとなしくて、どちらかと言えば物静かだと他のメンバーが語るのを聞いたことがある。どういう場面の誰による発言だったかという記憶は定かではないんだけれど、内容に間違いはないはずだ。

 それを聞いて、僕は感嘆した。意識的に僕たち向けの側面を用意して、崩すことなく維持していることに。もちろん、それに近い素養をもともと持っていたから自ずとあの振る舞いが生まれているのだろうし、新たに一から作り込んでいる側面だとは言わない。でも、メイキング映像なんかを見ていても、彼女はカメラに気づくと間違いなくスイッチを切り替えるじゃないですか。そういうのを見ると、揺らぐことのない強い核としての自分がいて、その理性でもって上手いこと「見せる自分」をコントロールしているように思える。ダヒョンさんが作詞した『TRICK IT』の歌詞を読んで、歌詞と現実の局面は違うけれど、やっぱり彼女の振る舞いは仕掛けられたTRICKで、行動の裏に準備している自分の存在をいつも自覚しているのかな、なんてついつい思いを巡らせてしまった。

 さっき「ギリギリ統率が取れなくなるTWICE」という記述をしたけれど、その不協和状態を正そうと画策するダヒョンさんや、バラエティで罰ゲームをした後のメンバーに”잘했어.”(意訳:よかったよ)って声をかけるダヒョンさんを見ると、本当に惚れる。それは、普段の僕が場の雰囲気に対して遠慮しないではいられない人間だからなのかもしれないけれど、こういう人が同じ場にいてくれたらいいなと純粋に思う。惚れるとか言った手前、変な意味に聞こえるかもしれないけれど、あくまでも純粋に。

 そう、ダヒョンさんのセンイルvliveあるじゃないですか、配信の最後にサナさんと電話する回。個人的に好きなvlive上位に食い込むので、見てない方にはオススメしておきます。あれはおそらく彼女のTRICKが崩れた回で、僕たちに見せない予定だった側面なんですよね。もしかしたら「宿舎にいるときの私たち」ってやつかもしれない。好き。

You in my heart

 最早なんの話をしているのかわからなくなったな。ここまでをまとめると、僕たちが見ている2種類のTWICEは両者を比べることで”Fake”と”True”のように見えるけれど、真の意味でのありのままの姿を念頭におくと”Fake”と”Fake”になってしまう、でも見方を変えれば”True”と”True”とも言えるよねって話をしてきた。そんなのは屁理屈だ、と一蹴してもらっても別に構わない。他人を説得したり、他人に強要したりするつもりで書いているわけではないので、どっちがいいかなんてもうわかるでしょ?とは言えないのだ。自分の考えを整理したうえで言うと、僕個人としては、最後の見方でやっていきたいと思っている。なんというか、アイドルに限らず、僕に見せる側面として選ばれた一面を、偽物だとあげつらってないがしろにはしたくない気持ちがある。

 ここまで言っていなかったけれど、特にTWICE、というかJYPは、アイドルである前に人間性を重要視する意向が強い。だから、大前提として、彼女たちの内面に対してわざわざ疑るような視線を送る必要性は極めて薄いし、きっと本当は2種類に分離せずに「ひとりの人間の生き方」として見るのが正しいような気さえする。でも、TWICEと向き合ってみようと思ったらこうなっちゃった。まあ、内面と外面を使い分けようとしてしまう僕という人間のせいなのだと思う。

 もうひとつ言っていなかったことがある。こっちはわざと避けていた。2種類のTWICEとか言ってるけれど、その線引きってできるの?って話だ。はっきり言って、できないんですよ。多種多様な場面を想定すると、どっちともつかない瞬間がかなり多い。冒頭の方に書いたけれど、そういえばTWICEのどこが好きかを考えているうちにこんなに遠くまで来てしまったのだ。その原点に立ち戻ったらふと気がついた。この「どっちともつかない瞬間」を、どうやら僕は強く好きだと感じている。っぽい。

 MVのメイキングで、決めポーズで誰かがNGを出した後、キメ顔が爆笑に変わるあの瞬間が好き。綺麗な衣装をまとっているのにめちゃくちゃにふざけている待機室の映像が好き。僕たちに見せるステージと、僕たちには見せない練習とのちょうど境界に位置するDance Practice Videoが好き。東京ドームのライブ終演後、9人が手を繋いでクルクル回りながらステージの真ん中に円を描いていたあの時間がたまらなく好き。彼女たちの才能も努力も決して普通とは言えないんだけれど、ここではあえて普通という表現を使わせてもらおう。普通の女の子たちが最強のアイドルをやっていること、同時に、最強のアイドルが普通の女の子たちであることに僕は惹かれているのだろうか。TWICEのそんな瞬間を好きであることに対する理由づけは、まだ終わっていない。

 最後に。『Fake & True』の話をしないとは言ったけれど、せっかくタイトルに掲げたのであれば何かを仕掛けないと気が済まない。オタクなので。文章中に『Fake & True』の歌詞を散りばめたことは、こんなところまで目を通してくださる方ならすでにお気づきのことだろう。『Fake & True』というタイトルも、これにて”True”に落ち着いた。こんなとりとめのない文章を最後まで読んでくれた皆さんに感謝します。

 

 初日からTLにもだいぶ感情が溢れ出してるね。いよいよ始まったTWICELIGHTS IN JAPANが無事成功することを祈って。