挨拶

 僕は挨拶が苦手だ。

 

 誰かに会ったときに挨拶が出てこないとか、挨拶をされても返せないとか、礼儀知らず的な意味での「苦手」ではない。いちおう20年ほど人生をやってきているので、さすがに挨拶が交わされるべき場面は理解しているし、そのような場面を迎えれば、挨拶を実行することだってできる。少なくとも、できているつもりだ。

 僕の挨拶に対する「苦手」は、行為に対する能力不足という意味ではなく、どちらかというと「パクチーが苦手」での用法、すなわちその対象への嫌悪感(は言いすぎかもしれないが、それに類するネガティブな感情)という意味が近い。つまり僕は、毎日パクチーを食べさせられながら暮らしている、パクチー嫌いの人間なのである。パクチーが好きな方は、ごめんなさい。

 

 もう少し正確に話そう。僕は、挨拶を「当然したほうが良い行為」として認識できていないのである。

 人間が生まれて初めて挨拶をするのはいつなのだろうか。きっとそれは、言葉なんて到底喋れないような時期の話である。「おばあちゃんでちゅよ〜こんにちは〜」みたいなセリフに対して、自分を抱きかかえている親か誰かが、代わりに上体を傾け、なんなら「こんにちは〜」と勝手に"代返"しながら、お辞儀させられるのが最初の挨拶だ。それからしばらくの間、自分の意思の外で幾度となく挨拶が重ねられていく。

 言葉を喋れるようになったら「挨拶しようね〜」、園児として社会進出を果たすようになったら「ほら、挨拶は?」、義務教育が幕を開けたら「ちゃんと挨拶しなさい」、僕は挨拶を強いられながら成長した。というか、これは僕に限った話ではないと思っている。実際、社会の儀礼やマナーとして挨拶は存在しており、それを周りの大人たちが躾の一環として教えるのは、長い目で見れば間違いなく正しい行いなのだ。

 

 僕が挨拶をわからなくなったのは、小学校で「挨拶をすると気持ちがいい」なる言論を耳にした頃である。挨拶は半ば強制的に「させられるもの」であり、一種の「義務」としてこなしていた身からすると、あまりに斬新な観点だった。挨拶週間や挨拶運動などのような挨拶を定着させる試みも定期的に行われていたが、それらを経たところで結局自分の中に「挨拶の気持ちよさ」を落とし込めず、どことなく気持ち悪さが残ったまま過ごしていた。

 もちろん、今は知識として挨拶の意味や、気持ちいいと言われる所以はわかっている。円滑なコミュニケーションのためのアイテム、本題に入る前のワンクッション、元々は仏教用語で問答の意。わかってはいるのだが、未だに挨拶に対して義務感が拭えたことはないし、したいと思って挨拶をした経験もない。「メールの挨拶文っていらなくない?」といった議論を目にしたことがあるかと思うが、それを日常生活にまで引き延ばした延長線上に僕は立っている。

 自宅のリビングにいて、家族が帰ってきた鍵の音がすると、(『おかえり』って言わなきゃ...)と思いながらリビングの扉が開くまでソワソワしてしまう。向こうから歩いてくる知り合いを発見すると、会話を持つのが面倒であるというのもあるが、そのワンステップ前にそもそも挨拶をしたくないから気づかないふりをしてしまう。誰かと一緒に帰っているときにどちらかが降りる駅が近づいてくると、(この後に適した別れの挨拶をしないとなぁ...)と頭の隅で考えながら会話してしまう。

 そう、僕はどうしようもなく挨拶が苦手なのだ。

 

 休みの日に会う程度には親しい友人が数人いるのだが、待ち合わせ場所で顔を合わせた友人からの第一声が「とりあえず有隣堂行こうか」だったときは思わず笑顔がこぼれた。ノー挨拶、初手有隣堂を決められる人間が身近に存在してくれて本当によかった。別れるときも、毎日学校で会っている高校生どうしみたいに、「じゃ」「また」で帰れるから気が楽な相手である。残念ながら僕は、挨拶の影が薄いほど心地よい。

 話は逸れるが、大学生になった途端に、周りの人々の別れの挨拶のデフォルトがいきなり「お疲れ様」にアプデされたときは、本当に怖くなって泣いてしまった。遊んだ帰りにそれ言われたら、「今日って疲れる日だったの!?」ってなっちゃうじゃん。あと「遊びに行こう」が「飲みに行こう」になる大学生、本当になんなんだろう。もっと遊ぼうよ、みんな。DS版マリオカートの風船バトルとかしようよ。

 正直「お疲れ様」問題に関しては、僕が過敏なだけである。「お疲れ様」は便利な労いの言葉だし、「お疲れ様」の発動条件に疲れたかどうかは関係ないのかもしれない。そもそも、挨拶で発せられる言葉の意味をいちいち考えている人なんてほとんどいないはずなのだ。「今日はご機嫌いかがですか」という気持ちを込めて口に出された「こんにちは」がどれだけ存在するのだろうか。

 ただむしろ、挨拶が意味を持たない言葉であるという事実は、より一層「したほうが良い」の外側へと僕の心を誘うのである。

 

 

 そんな僕にも、大好きな挨拶がある。

 「One in a million! こんにちは〜TWICEで〜す」←これ。

 初めて生で聞いたときに全身の鳥肌が立った挨拶は、後にも先にもこれだけである。いっそのこと、全員自分のオリジナル挨拶を考えて普段使いしていくっていうのはどうですか?ごめんなさい嘘です、考えたくないので。

 

 福岡公演からミナさんがMCにも参加しているということなので、おそらく9人での挨拶が見られるのだろう。大好きな挨拶を、また東京ドームで聞けたら最高だな。