僕が顔ファンである理由

 なにかの感情をふと思い出すきっかけは、景色であったり、音楽であったり、ときには香りであったりするけれど、今さっき2年前の記憶を運んできたのは肌に触れた外気だったように思う。自分の未来が変わりそうな予感に対する少しの不安と、いま再び幸せな出会いが巡ってきたことへの高揚感が、かすかに蘇ってすぐに消えた。心地よい風と生暖かい風とが入り混じったちょうどこんな季節に、僕は周子瑜さんを好きになった。いや、もうそのときにはTWICEを好きになっていたのかもしれない。

 TWICEの日本デビュー2周年を祝う意味も込めて、僕が思うところの「好き」の一部を書き残そうと思います。What is Love?

 

 饒舌な語りを聞かせたいところだけど、小説以外を大して読まずに過ごしてきたオタクだから誰かに意見を投げかけるような文章は書けないし、ツイートを眺めるように読んでもらうくらいでちょうどいい。だからせめてこの冗長な文章のあらすじを先に提示して、読み飛ばしやすい工夫くらいは凝らしておきたい気持ちがある。

 今から僕が書こうとしているのは、しばしば他人から、ときには自分の内面からもぶつけられる「なんで好きなの?」への回答についての話であり、そしてその問いに僕が「顔」と答える理由についての言い訳だ。

 

 もうすでに何度かツイートしたことではあるけれど、「好き」を説明するのはとにかく難しいと僕は思う。好きな理由ともなればなおさらだ。とあるラジオで「嫌いなものには『穴』があるからその『穴』が嫌いの理由になるのに対して、好きなものは完璧であるがゆえに理由を探すのが難しい。倒れ方にはいろいろあるけれど、バランスよく立っている状態は1通りしかない」という発言を聞いたときは、『Heart Shaker』のサビのごとく深く頷いた覚えがある。

 この難題に対するBreakthroughとして、まずは「好き」の始まりから道を切り拓きたい。せっかくTWICEの日本デビューに合わせて書いているし、なんだかそうすることが正しい気がする。

 

 さて、いきなりになるけれど、とりあえず同級生を好きになる始まりとアイドルを好きになる始まり、この違いについて話をさせてくれ。同級生は、大抵同じクラスになるあたりで関係性のイントロが鳴る。そしてそこから日常生活を共有しつつ進んでいくことになる。そうすると、ルックスなどの外見の情報と、性格をはじめとする内面の情報がいやでも同時に流れ込んでくる。だから、同級生を好きになる始まりは、外見と内面どちらの入り口もあり得るものだ。

 一方で、アイドルは基本的に何らかの外見に惹かれることのみが始まりだと感じる。ルックス、ダンス、あるいは曲でも、外に現れたもののうち何かが心に引っかかる。そうして初めて内面を知ろうという動機が生まれるわけだ。逆に、それまでは内面を知ることができない。アイドルの内面に対して抱く僕の「好き」はいつも副次的だった。

 

 実際、僕の場合はその始まりが周子瑜さんの顔だった。最初に感じた綺麗の感覚は、スイスの山岳風景やシンガポールの夜景に抱く綺麗にさえ近かったのかもしれない。細かく言えば、TWICEが出演するMステを見たとか、48オタク由来のFFがいきなり画像を投下し始めたとか、そういった即物的な出会いの理由はあるけれど、今このときも抱いたままの「好き」の始まりは間違いなく彼女の顔だった。

 周子瑜さんの好きなところ、そしてTWICEの好きなところはいまや捉えきれないほどに膨れ上がっている。でも、その全ての「好き」の原点、言わば「好き」のビッグバンが顔の良さであったわけだから、それは好きな理由としてまず掲げられるべきであろう。その衝撃がなければ、いま僕の生きる世界は広がっていなかったわけだし。

 そういえば、顔が好きにも種類があるということを言い忘れていた。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。

 

 見事に話がまとまったようにも聞こえるけれど、もう少し欠けた部分を補足したい。数行前でさらっと零れ出た”好きなところ”という言葉、これと”好きな理由”とは似て非なるもので、二者を区別しない物言いはできるだけ避けてきた。

 まず、“好きな理由”というのは「好き」と「好きじゃない」の境界線である。それがあることで「好き」が生じている、そういう要素こそが”好きな理由”だ。

 世界の森羅万象は「まだ見ぬもの」と「すでに出会ったもの」に分けられる。また、「すでに出会ったもの」はさらに「好きなもの」と「好きじゃないもの」に分けられる。そして、「好きなもの」を”好きな理由”は、「好きじゃないもの」に含まれる全ての事物が持っていない要素であるべきだと思う。そうすることで初めて「好きなもの」と「好きじゃないもの」を分け隔てる壁になれる。

 

 ダラダラと説明らしき文を書いてしまって申し訳ない。簡単な例で言うと、誰かのことを「面白いから好き」と言っている人は、その「面白い」という要素を持っている人間全員を好きになるってことじゃない?それは違うということなら、本当の”好きな理由”はもっと別のところにあるんじゃない?って話をしている。

 一方の”好きなところ”というのは、いま挙げた例で言うところの「面白い」もちゃんと含む概念である。推しの”好きなところ”を全部書き出せって命じられたら、おそらくそれは無理だと答えるだろう。きっと加筆修正の永遠のサイクルに囚われてしまうから。仮に、無限の時間を使って全ての”好きなところ”を書き出したリストが完成したとしたら、その中で核になっている有限の要素があって、それが”好きな理由”だ。

 

 Cherry Bullet、DreamNote、IZ*ONE、過去に遡ればAKB48。TWICE以外でも、僕がなんとなく追ってしまうグループの共通点は顔が好きなメンバーがいたことだ。少なくともある程度は「好き」の境界という役割を果たしてくれている。発言の面白さや心の優しさ、内に秘める情熱、これらを”好きな理由”だと主張する人は少なくないと思うし、そういう内面だって一人一人少しずつ異なるから独自の良さがあることもわかってる。ただ僕は、目に見えない内面を「好き」の柱にするのが少し不安に思えてしまうときがある。自分の信じた中身が正しいかは誰にもわからないし、その人だけが持っているものだと言い切る自信もない。これは自分が自分に対して抱いている疑心暗鬼のせいなのだけど。

 でも、顔の良さは絶対的だと思う。間違いなくその人だけが持っているものだし、外に見えているものは隠されることのない真実だ。自分の気持ちがわからなくなっても、推しの顔を見るだけで戻ってこられる気さえする。

 逆にあれだけ顔の良い9人が集まることってある?というか周子瑜さんの顔で人間が生まれることってある?あるんだよな。僕は顔ファンでいようと思う。

 

 つい長くなってしまって、ここまでの全てを読んだ人間が現れるのかはわからないけれど、最初に断ったように事細かに追われるための文章として生み出されたものではないし、誰にも読まれない文字があったほうがむしろ自然だと思う。タイムラインの流れの中に散らばってしまった自分の「好き」を組み立てる機会を作りたくて、デビュー2周年を盾に投稿されるに至っただけの代物だ。頭の中で思っちゃったからどうせなら声に出したかったというだけで、そう、これもまたオタクのツイートでしかない。

 最後に、この文章が9つのかたまりから構成されていて、それぞれの頭文字がメンバーの頭文字と一致している事実を示して、この雑記がどれほどの自己満足で覆い尽くされているかの証拠としたい。そんな文章に目を通してくれた皆さんに感謝します。