顔が好き and more...

 あれは一年前の、ちょうど今日のことである。

 ずっと頭の中だけでこねくり回していた「顔が好き」という気持ちの説明を、自分なりに言葉にして、少しばかりの遊び心とともにこの場所に書き残した。

clamperl.hatenablog.com

 

 理由なんてタイトルを偉そうに掲げておきながら、まともに伝わる説明ができているのか正直不安だったのだが、あのとき記事を読んでくれた方、さらにはコメントまでくれた方、その節は本当にありがとうございました。

 僕はこの記事の中で、以下のようなことを書いている。

そういえば、顔が好きにも種類があるということを言い忘れていた。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。 

 「けれども」から始まる二文目は、実はミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に登場する一節の引用である。「顔が好き」に関する話は果てしないよね、といった意味合いを込めて借用したものだ。むしろ、それ以上の意味はない。だから、これを書いた当初は「顔が好きにも種類がある」という話をするつもりは特になかった。

 ただ、ふと記事を見返していたら、偶然この文が目に飛び込んできた。この記事を機に、毎月なんらかの記事を更新しながら一年の歳月が流れたところである。ちょうどいい機会だ。一年前の自分が課した宿題を、今日ここで終わらせようと思う。

 ちなみに一応断っておくと、僕の顔ファンについての信条は、いまだに大きく変わっていない。

 

 まずはじめに言っておきたいのだが、「顔が好き」の種類というのは顔の種類ではない。目鼻立ちのはっきりした顔、シュッと整った薄い顔......というような分類をしたいわけではないということである。

 それから、僕自身の好みの話をしたいわけでも決してない。僕はTWICEのツウィさんの顔が好きだという話を、Twitterでもどこでも散々やってきている。でも、今ここでしようとしている話は、僕とは好みが異なる人々には当てはまらないものではなく、誰の顔が好きでも成り立つ(と僕が思っている)話だ。実際に説明したほうが早そうなので前置きはこのくらいにしておこう。

 

 理解していただくにあたって、僕が意識している「顔が好き」の種類は、大きく分けて三つに分類されるということから話そう。僕が意識している、などと書いているのは、種類数も分け方もこれだけが全てではないと思っているからだ。何か別の観点を持っている人がいたら、ぜひ教えてください。

 そうだな、三種類それぞれに呼称があったほうがわかりやすいので、造形型表情型機微型とでもしておこうか。分け方についてはずっと考えていたことだけれど、名前は即興で考えたのでわりと適当だ。それはともかく、この三種類の具体的な内容を中心に、今回は書き進めていきたい。

 

 まずは、造形型について。

 これは「顔が好き」の中でも「顔の造形が好き」という限定的な意味での好きのあり方である。造形とはすなわち、顔のパーツの形や大きさ、そしてその配置である。いや、こんな面倒な説明をしても仕方がない。要するに、一目惚れをしてしまうような「顔が好き」だ。

 もう少し言い換えてみよう。一般的に「好きな顔のタイプ」と言ったときには、この造形型に当てはまる顔のことを指すと思う。例えば、見たことのないアイドルグループの写真をパッと出されて、この中の誰が好きですか?と聞かれたときに答えるメンバー。それが「顔の造形が好き」である。顔のつくり自体に魅力を感じるということだ。

 今あげた例で重要なことは、好きなメンバーを決めるのに写真を見た、という点だ。写真とは、ある一瞬だけを切り取ったものである。その人が動いたり、話したりするのを見ることなく判断している。それがとても重要なのだ。時間の流れとは切り離された、ある一時点のみで「顔が好き」が生じている、僕の分類の中ではこれこそが造形型の条件である。

 しかし、別の写真を見たらそうでもなかった、ということは正直珍しくない。その瞬間の顔が好きだったことに間違いはないが、他の瞬間でも好きだとは限らない。一方で、どの一時点を見ても好きだと思うような顔、すなわちどの写真でも「顔が好き」が生じる場合、これはもう言ってみれば最強の「顔が好き」である。その人の顔が完全に好きということだ。個人的な話をすれば、そのレベルに到達したとき、僕はその人を推すことにしている。そう、TWICEで言えば、ツウィさんが僕にとっての造形型に当たる。本当に全写真で顔が好きなので。

 

 二番目の表情型について。

 造形型での説明に則ると、表情型は「顔の表情が好き」ということになるのだが、正確に言うと、ある特定の表情に対する「顔が好き」ではなく、見せる表情の幅やバリエーションに対する「顔が好き」を意味している。笑顔のときもあれば、怒った顔のときもある、そういった表情の豊かさに魅力を感じるということだ。

 よく「笑顔が好き」と聞くことがあるが、これには二種類あると常々感じていた。その人が笑顔になったときの顔自体、つまり造形が好きなパターンがひとつと、その人が笑顔になったときの普段の顔とのギャップ、すなわち表情の変化が好きなパターンがもうひとつである。お察しの通り、前者を造形型、後者を表情型に当てはめれば、よりサッパリと説明できるような気がするのだ。

 ある一時点のみで生じる「顔が好き」が造形型であるのに対して、ある二つの時点を比較したときの差、あるいは変化量に生じる「顔が好き」が表情型である。別の言い方をすれば、造形型がたった一枚の写真から始まる「顔が好き」であれば、表情型は複数枚の写真から始まる「顔が好き」である。写真一枚一枚がどうという話ではなく、色々な種類の写真があるという状態に心惹かれる。この複数の時点を比較したときに「顔が好き」が生じる、これが僕の思う表情型の条件である。

 表情が豊かであるかどうかは客観的にわかることであり、その意味で、造形型に比べれば個人の趣味嗜好の影響は少ないかもしれない。ただ、見る人によって注目する瞬間や表情は違うので、表情型の「顔が好き」も全員が一致するということはないだろう。わかりやすさのために、僕にとっての表情型を発表しておくと、それは間違いなくナヨンさんである。彼女は、人を幸せにする表情筋をお持ちだ。

 

 三つ目は、機微型である。

 これは非常に説明が難しい。そもそも、機微の辞書的な説明は「表面上はわかりにくい人の心の微細な動き、物事の移り変わり」となっている。「表面上はわかりにくい」と言っているのに、それを顔に見出そうとしていること自体、矛盾したネーミングだ。でも、感覚的にちょうどいい表現が機微なのである。「顔のここが好き!」といった明確な言葉では表せない、でもなんとなく顔を見ているとかすかに感じる魅力。視覚で捉える香りのような、そのどうにも掴みきれない「顔が好き」が機微型の真髄だと思っている。

 すでにあげた二種類の「顔が好き」は、写真を起点にしていると説明した。それに沿った説明をするならば、機微型の「顔が好き」は、動画や映像がその起点となる。人間は表情を時と場合によって変えるわけだが、写真というのは基本的にその変化の最初や最後を切り取るものだ。つまり、写真という静止画では、表情の変化の過程が削ぎ落とされることになる。機微とは最初に示した通り「物事の移り変わり」も指す言葉であって、つまりは「顔がどうやって変化したかということ」が見えて初めて分かるものだと言える。だから、そこに魅力を感じるためには、過程まで見える動画が必要なのだ。

 もう少し具体的な話をしよう。かなりカジュアルな映像、例えばVLIVEのような生配信の映像を見ていたとする。そうだな、仮に二人組で会話をしながら配信している状況を想像してほしい。相手の話を聞いているときの、相手を気遣うような視線の動きや、その人自身が話しているときの、だんだんと笑いがこぼれていく様子。こういった些細な部分を好きだと感じることは少なくないだろう。しかし、ここの顔が好きだったな、と思ってあとでスクショを撮ってみたものの、なんだかうまく伝わらないものになってしまう、といった経験はないだろうか。思うに、それが静止画では捉えられない機微による「顔が好き」なのだ。

 あまりに感覚的でうまく書けないのだが、ちょっとでも分かっていただけていたら嬉しい。ただ、感覚的であるということはすなわち、十人十色の「顔が好き」があるのがこの機微型ではないだろうか。「ハッキリとした理由はわからないけど、なぜか好きなんだよなぁ...」はだいたいここに当てはまるとも思っている。ちなみに僕は、ダヒョンさんのことを考えながら、機微型の説明を書いていた。彼女は、僕がいちばん楽しみにしてしまうブイライバー(存在しない用語)である。

 

 理論か何かが前提にあって考えているというわけではないので、最初に言った通り、他の分け方や種類もあるかもしれない。僕自身が様々な「顔が好き」を感じた瞬間を思い返してみたときに、今のところは大体この三種類に分けられるかな、という程度の話だ。新種の「顔が好き」が見つかったら、それはまだ見ぬ推しが増える瞬間かもしれない。

 それから、僕が文中で挙げているTWICEのメンバーは僕にとっての代表的な一例であって、他のメンバーはもちろん、TWICE以外の誰かに対しても、たびたび感じることのあるものである。もっと言えば、それぞれの人がどれか一つにだけしか当てはまらないわけではなくて、兼任してくれることも当然ある。よくある。

 何はともあれ、ふと「この人の顔好きだな......」と感じるたくさんの瞬間は、全てが同じものということはなく、好きの焦点が少しずつ違っていて、そしてどれも素晴らしいのである。

 

 またもやだいぶ長くなってしまったけれど、自分自身の宿題に対する回答はこんなところだろうか。

 「顔が好き」の種類や説明はこれだけではないというのはもちろん、僕の説明を部分的に受け入れていただけたうえでも、多種多様な「顔が好き」のあり方があると思う。様々な好みが画一的ではないからこそ、アイドルやオタクは面白いのだという気がする。

 この文章で主張したいことは特にないのだけれど、強いてあげるなら、顔ファンというあり方が薄っぺらいとはやはり言い難い、ということだろうか。ここで説明したことは、僕が掘り進めている「顔が好き」の図鑑みたいなものなのである。むやみやたらに「顔が好き」と言い続けているわけではなくて、もう少し詳細に語ることのできる、自分なりの "and more" があるよ、という話でした。

 今回も、一年前と同じく九つの段落で構成されていますが、それぞれの段落の頭文字は、NiziUメンバーの頭文字にしてみました(順番はぐちゃぐちゃですが)。改めて、こんな文章に目を通してくれた皆さんに再び感謝します。ありがとうございました。

「いい話」

 この世界には「いい話」と呼ばれる物語が存在する。

 小さな日常の一場面を切り取った心温まる「いい話」もあれば、長い時間の経過を伴ってクライマックスで涙を誘われる「いい話」まで、規模や種類には様々あるわけだが、特に後者の「いい話」の生まれ方には、簡単なルールが存在するのではないかと思う。どうやったら物語が綺麗にまとまるか。どうやったら感動する流れになるか。それを決める材料とシステムがあるということだ。性格が悪く聞こえると思うが、最近そんなことについて考えている。

 

 僕が思う「いい話」の材料はふたつだ。ひとつはハッピーエンドで、もうひとつはその結末に至るまでに経験する苦境である。

 「いい話」が「いい」と言われる所以は、その物語を摂取した後の感情状態に大きく依存している。だから、じんわりとした余韻や清々しい後味を喚起するハッピーエンドは、「いい話」においては重要な要素であると思う。逆に言えば、バッドエンドの物語があったとして、それを「いい話」と表現するだろうか、ということである。その場合はどちらかというと、例えば「深い話」とか「考えさせられる話」とか、そういった呼称の方が適切だろう。例外はあるかもしれないが、とりあえず結末が与える物語全体への印象は大きいはずだ。

 それから、苦境のないハッピーエンドもこれまた「いい話」と呼ぶには物足りない。一度たりとも挫折しないただの成功物語を見せられても、人々の心は動きにくい。むしろ、場合によっては嫉妬さえ生んでしまうかもしれない。幾多の壁を乗り越えてこそ、あの苦難を跳ね返してこそ、といった幸せな結末との高低差が必要なのだ。だから、途中の苦境も「いい話」には欠かせない要素だと言える。とはいえ、この高低差を欲する心はなかなかに残酷だと僕は思っている。高低差を欲する心とはすなわち、強い苦境を求める気持ちだからだ。「いい話」として扱っているその物語が、誰かの人生であった場合はなおさらである。

 

 さて、僕がなぜこの文章を書いているかというと、「所詮いい話なんてこんなカラクリだよ」などと冷笑したいわけではなく、はたまた「この方法を使ってみなさんもいい話を書きましょう!」などと教授したいわけでも勿論ない。この文章を書いたのは、「なんか『いい話』ってパッケージ、全てを美化する最強の力では?」とふと思ったからだ。

 「いい話」には、ハッピーエンドが必要だと書いた。ただ、事態をより正確に言うと、ハッピーエンドさえあれば、そこまでの過程が「いい話」にされてしまう。ハッピーエンドまでの過程にある苦境は全て「いい話」の一部として、良かったことや美しいことにできるのである。その部分だけ切り取ればとてつもない困難だったとしても、結末までをセットで丸ごと渡されると「いい話だなぁ...」で終わってしまい、途中の苦境に対して鈍感になるのだ。

 具体例を使って話そう。SIXTEENのモモ脱落、からのデビュー。まさしく「いい話」である。言い忘れていたけれど、僕は別に「いい話」が嫌いなわけではない。それだけは念を押しておきたい。だから、SIXTEEN最終話を見たときは(TWICEを知った後で見たので結末はわかっていたものの)感動的だと思った。ただ、モモの脱落は、少なくともSIXTEENという番組内に限定すると、他の脱落とは同一視されないわけだ。デビューというハッピーエンドによって、デビューできなかった他の参加者と同じだけの精神的ダメージを負ったはずのその脱落は、「いい話」の一部として扱われるのである。 

 

 これは誰が悪いとかそういう話ではない。人間の脳のシステムとして「いい話」を受け取るとどうしてもそう感じがちだよね、という確認である(人間の脳などとだいぶ大きく出てしまったが、おそらく僕だけではないと信じている)。綺麗にまとまっているものは、つい全てが綺麗だったように思えてしまうのだ。

 そして、この「綺麗にまとまっている」という表現は、さも誰かがまとめたかのような言い方だけれども、別に僕たちは完成されたコンテンツだけを「いい話」とするわけではない。誰かの輝かしい瞬間を見て、過去の薄暗い時間を振り返り、今と見比べる。そんなふうに、誰かの人生の一部に「いい話」を見出そうとするわけだ。つまりはそう、かく言う僕自身も、苦境とハッピーエンドを結び付けようとしてしまう「いい話」の仕立て屋なのである。

 そもそも、さっきから結末だのハッピーエンドだの言っているが、これはわりと見る側の身勝手だ。ドキュメンタリーのように誰かの人生を対象としている場合、その人生の中のある瞬間で一旦物語を切り上げているから、結末が生まれているのだ。一例としてあげたデビュー決定はオーディション番組の結末であって、決して人生の結末ではない。デビューできたらそこから再びTHE STORY BEGINSするわけだし、それゆえにまた新たな苦境も経験し、ハッピーエンドとみなされる何らかの瞬間を迎えるということを繰り返す。要するに「いい話」というのは、結末らしき瞬間を基準にして、僕たちがうまく切り取ることで生まれている。

 

 ここで前半の話に戻るのだけれども、「何かを『いい話』として切り取ったばかりに、全てが美化されちゃうなぁ......」と最近の僕は考えているのだ。全てが美化されるというのは、雑に言い換えるならば、結末の良さに細部の印象が持っていかれるという意味だ。全体に対して何か思ったことをひとつだけ呟こうとすると、各シーンに対して生じたはずの色々な方向の感情を取りこぼしているような気分になる。自分の納得できる形でまとめられるならともかく、感じたことを綺麗な形に集約しようとする行為が、僕にはむしろどうにも物足りなく思われるのだ。

 だからこの頃は、あえてバラバラな状態の、それぞれの場面に対する、刹那的な感情を意識するようにしている。この出来事が面白かった、あのカットでときめいた、みたいな。僕の思考の癖として、それが「いい話」になるかはともかく、時間の流れに何らかの意味や物語を編みあげようとしてしまうのだが、もう少し断片的な出来事を大事にしてみたいのだ。コース料理を頼まずに、アラカルトで味わいたい日だってある。デザートの味に引っ張られすぎないためにもね。アラカルトにしか無いメニューだってあるかもしれないし。

 

 カムバ前日、というか日付も変わりそうな時間になっているので、高揚感の真っ只中にいる状態でこれを書いている。そんな中で、この曲にもきっと色々な意味づけはできるけれど、ある意味もっと適当に受け止めたいとも思っているわけだ。確かに『MORE & MORE』は久しぶりの"完全体"でのカムバックである。それは本当に嬉しい。いや本当にね。でもあえて言うなら、久しぶりではなかろうが、素晴らしいカムバックには違いない。別に「いい話」にしなくとも、過去と比較しなくとも、絶対的に良いものであるはずだ。例えばそういうことを言いたかった。

 まずは、今ここにある瞬間を楽しみたい。言ってみれば、それだけの話だ。

 ......なんて最後で格好つけると、ハッピーエンドっぽくなっちゃうよね!

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

ティーカップ・エモーション

 何かを好きになる気持ちがティーカップのようだったらいいのに。そう思う瞬間は、自らの"好き"に連なって現れるどうにも扱いづらい感情を自覚したタイミングで訪れる。

 ティーカップという代物は、紅茶と共存するために着飾りながらも、なかなか理にかなった機能性を有している。100度近い熱湯を茶葉に注いで淹れる紅茶は、そのままでは熱すぎて飲むのに適していない。だから、テーブルに置かれてからは少しばかり冷めてほしいわけで、その目的を果たすために、口は広く、縁は薄く、底は浅く作られている。これらの特徴は、なるべく多くの光を通し、紅茶の色を引き立たせるためにも一役買っていると言う。

 加えて、ティーカップの底には模様が描かれている場合がある。紅茶が透明であるがゆえに、中身が入った状態でも底まで見えるから模様が意味を持つというわけだ。逆の例を挙げれば、コーヒーカップの底に模様が描かれることはない。見えない底に何かを書くのはラーメン屋くらいだろう。

 今後の人生で披露する場所の乏しそうな知識を語るのはこの辺までにしておいて、ティーカップのような"好き"とは要するに、広い入り口からふらりと出入りできて、自分でなんとなく「ここが気持ちの上限だ」と浅めの底が見える気持ちのことである。そういうポップでカジュアルな感情が"好き"だったら楽かもな、と僕はときどき思わされる。

 裏を返せばこういうことだ。僕が抱いてしまう何かを好きになる気持ちは、一度入ったらそう簡単には抜け出せない、底なんてまるで見当たらない感情なのである。もしかしたら、僕みたいな人間のことを、世間ではオタクと呼ぶのかもしれない。

 

 好きなものを新たに見つけた瞬間の、全身の血液が沸騰するような高ぶりは、これまでに何度か僕に襲いかかっている。その経験則で語ると、どうやらあの感情は恐怖を引き連れてやってくるように思う。これも全て、好きになってしまっては後戻りができないことを自覚しているからだ。うんと底が深い世界にドボンと飛び込む一瞬が怖くないわけもなく、良くも悪くもここで人生変わるかもな、という直感が身体を震わせるのである。

 だから僕は、誰かに勧められたものに「はいそうですか」とノータイムで手を伸ばすことができない。しかも、その誰かが自分と趣味の合う人間であればあるほど躊躇う。面白いゲームを教えてもらっても、やり込みたくなったら日常が崩壊しちゃうよ、とGoogleを開く親指はどうにも重たい。誰かからオススメのアイドルの名前を聞いても、めちゃくちゃ可愛いメンバーがいたらどうするんだ、と恐る恐るYouTubeのリンクを押す。なんならよくわからないけれど再生しても細目で見てしまう。好きになることは怖いことなので。

 勘違いしないでほしいが、好きなものが多いこと、あるいは好きなものが増えること自体はいいことだと思っている。もちろん、多くのものを追いかければ、それだけお金や時間がかかることになり、物質的な損失は生ずるだろう。しかし、好きなものに囲まれることで浸み出す幸せは、人生で最も大切なものだとすら僕は思っている。というか、そう強く思っているからこそ、何かを好きになる気持ちが恐ろしいのである。今まで気にも留めていなかった存在に、ある日突然いきなり人生の全体重を預けはじめるなんて......狂ってない?大丈夫?何かを好きになったら最後、僕はそれを好きになる以前の世界には帰れない。

 もう少しだけ付け足そう。どんなものでもこの世界から突然消えてしまう可能性はゼロではない。例えばアイドルであれば卒業や解散がある種の消失にあたるわけだけど、好きなものがたった一つで、その唯一の好きなものが失われるなんて状況が起きてしまったら、それは自分の消失と同義になってしまう気がする。そう考えると、やっぱり"好き"はたくさん持っておくに越したことはない。......はずなのだが、それはつまり、好きなものを増やすことは、好きなものが世界から消える悲しみや、好きなものが傷つけられる苦しみを背負う確率を高める行為とも言い換えられるのである。自分の大切なものが増えることにはそれ相応の重圧があり、しかも減らすことができないとなれば、僕はその不可逆性の開始地点で、幸せと同時に恐怖を抱かざるを得ない。

 

 さて、好きな気持ちが色づき、恐怖との向き合いも落ち着いてきたところで、面倒なオタクである僕の頭の中にはもう一つの扱いに困る感情が注がれ始める。それは、なんでもっと早く出会えなかったのだろう、という後悔だ。

 先に書いた話の後だと完全に言動が矛盾しているのだが、いざ好きになると、一秒でも早く知っておきたかったという自責の念が顔を出す。特定のタイミングで知ったからこそ好きになれたというケースも存在するから、早ければ早いほどいいというような単純さではこの感情を語ることはできない。それでも一方で、頭を抱える気持ちは抑えられないのだ。

 今から書くことに共感してくれる人がいるのかはわからないけれど、いるのだとしたらぜひともお友だちになりたい。何かを好きになった直後の僕の心の中には、「僕が好きになった瞬間以前の歴史を全て知りたい」という思いが、ぶくぶくと音を立てて立ち現れる。ずっと昔から好きだったとしたら持っていたはずの知識を網羅したい、あるいは、好きになったその存在が歩んできた道のりを自分も辿ったうえで好きでありたい、そういった気持ちだ。愚かな自分のせいで流れ落ちてしまった"好きだったはずの時間"に抗おう、過去を取り戻そうという、これまた愚かな試みを、義務であるかのように自らに課してしまうのだ。もっと早く知りたかったという後悔は、この辺りの感情に強く根差しているのではないかと僕は考えている。

 そう考えると、韓国のオーディション番組というシステムはなかなかに優しい。視聴者全員を新たな"好き"のスタート地点に並べてくれる。歴史の無い状態である存在を好きになれるというのは、その存在と同じ時間軸を一から自分の足で歩んでいけるということなんですよね。なんて素敵なんだろう。後悔のない、真っ新な"好き"を生む場所なのかもしれない。

 漫画を読むなら1巻から読みたいし、ドラマはシーズン1から見ておきたい。これらに関しては理解してくれる人が多いと思うのだが、言ってみればその延長線上にある感情なのだと思う。好きになったのがアイドルであれば、リリース済みのCDを全て買ってしまったり、公式の動画を片っ端から再生し始めたり、Wikipediaを隅々まで読み込んだり、こういったことをついやってしまう。そして、そんな終わりの見えない行為を重ねるほどまた好きになり、気づけば自分が飛び込んだ水面がずっと遠くに思えるくらいの、光の届かない水深まで進んでいるのだ。まあそこまで来ればもう、新たな幸せが始まっているわけだけど。

 

 沸いたお湯が放っておけば冷めるように、好きになってからある程度の時間が経てば、過去形の「好きだったもの」にその対象を移動させられる人は少なくないのかもしれない。でも僕はそうではなくて、一度好きになったものはいつも現在進行形でそこにいて、どこまで好きになるのかという未来もわからず、揺さぶられながら暮らしている。

 何かを好きであるという状態を、うっすらとした香りのように身に纏うことができる人もたくさんいるのかもしれない。ただ、好きだと思ったものには己の核まで注ぎ込み、全てを飲み干さんとばかりに奥深くまで執着してしまう人が、僕の他にもいると信じたい。

 何はともあれ、この"好き"とかいう制御不能のバカでかい感情のせいで、僕が暮らすこの日常は、どうしようもなく不安だったり、とてつもなく幸せだったりするのである。ティーカップ・エモーションを抱けない僕は、コーヒーのように底の見えないつややかな漆黒の世界に、今日もひとりで浸っている。

強いられた思考【解答】

 前回の謎解きの解答編です。

 あらかじめ、前回の記事を眺めるか解くかしていただけると楽しめると思います。

 

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 とりあえずの重要な情報としては、大文字アルファベットでの回答、回答順への注意、「ひとつ前の答え」の扱いの3点になるかと思います。説明の7)で「左上に書かれた数字に沿って進む」とあるので、回答順としては上から順に解けばいいということになります。

 

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 四角と丸が何を表しているのかはさておき、見えている英単語から『Candy Pop』の歌詞の一部であることが推測されます。脳内あるいはGoogleで検索をかけると、1番のサビ終わりからの部分であるとわかり、歌詞を当てはめてみると、四角には漢字丸には平仮名が入り、綺麗に空欄が埋まります。

    1=「君」、23=「どり」なので、合わせて「きみどり」となり、答えは英語にするというルールなので、【1】の答えは "YELLOWGREEN" です。

 

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 ひとつ前の答えは "YELLOWGREEN" だったので、右から二つ目の黄緑色の扉からスタートします。最短距離は上図のようなルートとなり、【2】の答えはそのまま "MINT" です。

 察しのいい方なら、この段階で答えの法則性には気づけそう。

 

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 謎のタイトルは『What is Love?』で、メンバー同士の組み合わせが並んでいます。それに加え、SanaとJeongyeonの組み合わせが👻、つまり ghost を表しているとなれば、MVでのパロディが連想されます。JeongyeonとTzuyuの & もヒントです。元ネタとなった映画のタイトルおよびそのスペリングが必要となるため、検索推奨としました。

 上から順に、Pulp Fiction』『Romeo & Juliet』『Leon』のパロディを演じているメンバーの組み合わせであり、タイトルを当てはめた上で数字通りにアルファベットを拾うと、【3】の答え"PURPLE" だとわかります。

 

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 まず、この黒い長方形の中にある単語がそれぞれ何なのかを観察すると、アルバム『YES or YES』の収録曲であることがわかります。ひとつ前の答えで隠れた文字とは、 【3】の答えである "PURPLE" 、つまり紫色のインクで見えなくなっている文字のことです。

 『BDZ (Korean Ver.)』B、『LALALA』L、『SAY YOU LOVE ME』U、『AFTER MOON』Eがそれぞれ隠されているので、【4】の答え "BLUE" となります。

 

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 同じ絵文字が横に並び、その右にはメンバーの名前が書いてあります。この中では、ウサギとDahyun、妖精とMomoの組み合わせが思い出しやすいでしょうか。これらは『TT』のMVでの衣装(仮装?)を表しています。すなわち、絵文字が表しているのは、海賊、ウサギ、ピノキオ、ティンカーベルです。

 それぞれを英語表記にすると(ピノキオが尖ったスペリングなので検索推奨)、Pirate、Rabbit、Pinocchio、Tinkerbellであり、これらの文字数がそれぞれの絵文字の個数と一致します。したがって、絵文字に1文字ずつアルファベットを入れていくと、赤い四角の部分は、P(Pirateの1文字め)、I(Rabbitの5文字め)、N(Pinocchioの3文字め)、KTinkerbellの4文字め)であり、上から読んで【5】の答え"PINK" です。

 

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 この問題は、少し説明が難解になってしまいました。まず、ひとつ前の答えから連想される日本語曲ですが、"PINK" から連想される曲といえば『Pink Lemonade』です。これを上図のようにマス目に当てはめます。

 次に、2回使われる文字について、『Pink Lemonade』の12文字の中では、NとEが2回ずつ使われています。上図では、1回目を青字、2回目を赤字で示しました。そのうえで、「2回目に登場したマスの下にある文」というのは、赤字で示した9マス目と12マス目の下に書かれた文のことを指し、これを繋げると「雪は何色?」となります。

 「2回目の登場」というのが、タイトルの『One More Time』の理由でした。この質問に対する答えである "WHITE" が【6】の答えです。

 

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 まずは、クロスワードを完成させましょう(上図参照)。『BDZ』の収録曲の歌詞であることは一目でわかるので、比較的簡単に埋められると思います。どの曲か忘れた場合も、横に書かれた数字からトラックナンバーがわかります。

 さて、「推移の右にあるのが期末」とは何なのかという話ですが、完成したクロスワード「ス」「イ」「イ」の右のマスに、「キ」「マ」「ツ」があることから、意味が推測できます。ひとつ前の答えである "WHITE" を日本語に直すと "白"、つまり「シ」「ロ」の上のマスを見ればいいということになります。それぞれ「ア」「カ」が上のマスにあるので、【7】の答え"RED" です。

 

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 全く訳のわからない図形だと思いますが、検索推奨ということなのでとりあえず『LIKEY』のMVを見てみましょう。すると、右に書かれたパートが訪れるシーンで、同じ図形が登場することに気づきます。上の図形は0分25秒あたりで映る "GELATO" 、下の図形は3分ちょうどのあたりで左上に映る "SUPER GROCER & PHARMACY" に対応しています。

 そこまでくれば、あとは丸数字に当てはまるアルファベットを拾うだけです。タイトルの『LIKEY』にも丸数字があることに注意して、【8】の答え"APRICOT" です。

 

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 左上のTzuyuの例を見てみると、青マスにBALLOON、赤マスにFUUSENNと書かれており、イコールで結ばれています。二つのマスの関係としては、同じ「風船」という言葉に対して、青マスが英語表記赤マスがローマ字表記をするという関係になっています。

 では、Tzuyuが風船であるというのはどういう意味かを考えると、これは『FANCY』のMVにおいて、Tzuyuのシーンではモチーフとして風船が使われたことを意味します。となると、Jeongyeonは「薔薇」がキーワードです。先述のルールに従えば、青マスにはROSE赤マスにはBARAが入ることになります。

 さて、答えを導くに際して、一番下の2つの赤マスに数字が振られています。先ほど求めたROSEとBARAと見比べて、アルファベットを代入すると、左はSORA右はAOだとわかります。再びルールに沿ってこれらと対応するように青マスを埋めると、左は「空」の英語表記であるSKY、右は「青」の英語表記であるBLUEとなるため、【9】の答えはこの両者をつなげた "SKYBLUE" です。(なお、別解として、9色のメンバーカラーの最後の1色という解き方も可能です。)

 

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 ここまでで、9問の答えが出揃いました。今更ですが、それぞれTWICEのメンバーカラーが答えになっていたことがわかります。解答では、各謎を囲っている縁の色を答えの色にしてあります。

 番号との対応がわかりやすいように、マス目の外に答えを並べました。これを元に、指示のマス目を埋めると、指示は「MEMBER COLORに沿って進みましょう!」となります。3だけ上下反転しており、WをMとして読むことに注意してください。

 「MEMBER COLORに沿って進む」の意味は、ルール説明まで舞い戻る事で気づけます。ルール説明には、この指示同じイタリック体で「左上の数字に沿って進みましょう!」と謎を解く順番について記載されていました。また、その下にはメンバーカラーの順番が示されています。

 そうです、ここまで解いてきた9問を、今度はメンバーカラーに沿った順番で解き直す、つまり、SKYBLUEが答えになっている【9】から始め、BLUEが答えになっている【4】で終わるような順番で解き直せ、というのがこの指示が表す内容でした。具体的には、【9】【1】【5】【3】【8】【2】【6】【7】【4】という順番になります。

 解く順番を変えると、どのような変化が起きるでしょうか。それは、謎の中に何度か登場した「ひとつ前の答え」が違うものになるという変化です。「ひとつ前の答え」を使わないで解く謎の答えは今と変わらないので、「ひとつ前の答え」を用いる【2】【4】【6】【7】の4問(新たな順番での後ろ4問)を解き直してみましょう。

 

〜2周目〜

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 まずは【2】ですが、メンバーカラー順の場合、一問前は【8】になったので、ひとつ前の答えが "APRICOT" となり、スタート地点が右から2番目の扉へと変わります。

 ここから最短距離を辿ると、新たな答えとなる通過するアルファベットは "AUBE" です。答えの文字数もアルファベットで4文字なので、答えとして成立しています。

 

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 さて、次の問題は【6】です。ひとつ前の答え "AUBE" から連想される日本語曲と言えば、AUBEのCMソングに使われた『Breakthrough』が当てはまります。アルファベット12文字という条件にも合致するので、マス目に曲名を当てはめます。

 曲名の中で2回使われている文字はRHであり、前回同様、1回目の登場を青字、2回目の登場を赤字で示しました。ここから得られる質問文は「虹は何色?」です。

 前回の「雪は何色?」に引きずられて「虹色」と答えたくなりますが、それだと答えが "RAINBOW" となり、文字数が合いません。今回の場合は「虹はナンショク?」と読むのが正解であり、虹と言えば7色なので、新たな答え"SEVEN" となります。

 

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 次は【7】です。前回と同じく【6】の次に位置する謎ではありますが、【6】の答えが変化しているのでもう一度考える必要があります。クロスワード自体に変化はありません。

 ひとつ前の答え "SEVEN" を日本語に直したものというと「ナナ」が思い浮かびますが、クロスワードには「ナ」の文字がありません。そこで「シチ」と読み替えることで、「シ」と「チ」の文字が盤面に見つかり、その上のマスを読めばいいことに気づけます。

 したがって、読むべき文字は「アミ(網)」となり、それを英語に直した "NET"新たな答えです。

 

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 2周目最後の謎は【4】です。ひとつ前の答えで隠れた文字ということで、前回は紫色のインクで隠れた文字が答えになりました。今回はというと、"NET" で隠れた文字が答えになります。この "NET" が意味するところは、図の中央下部にあるクモのアミです。(クモの巣の英語表現は WEB が一般的ですが、アミの絵ではあるので一応意味は通ると思います)

 クモのアミで隠れているのは『YOUNG&WILD』の & 以降のすべての文字なので、すなわち新たな答え "WILD" です。

 

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 さて、4つの新たな答えとともにここまで帰ってきました。答えが変わった問題については、上図で赤字で示してあります。

 この答えをもとに、もう一度指示のマス目を埋めてみましょう。変化があるのは、1番・2番・3番・4番・10番のマスです。すると、「ANSWER COLONに沿って進みましょう!」という新たな指示が現れました。3番の上下反転については、新たな答えではSになっているので反転しても同じであり、影響がありません。

 ここでようやく、ルール説明の5)に書かれていた ANSWER が現れました。したがって、これが最後の求めるべき答えであることがわかります。では、「COLONに沿って進む」という指示の意味を考える必要が出てきます。

 "COLON"とはコロン、すなわち ":" という記号のことです。よく見ると、ここまでの謎すべてにおいて、タイトルの部分にコロンが登場していることに気がつきます。また、最後のマス目の用紙を含め、全てのコロンが縦一直線に並んでいます。そこで、このコロンのなす直線に沿って、上まで戻るように進んでみましょう。

 【1】〜【9】の謎ではコロンの下は完全な空欄になっており、元の記事では解説も挟まれていないので、コロンとコロンの間には何も書かれていません。しかし、ルール説明だけは違います。【1】:Candy Pop のコロンと、【0】:ルール説明 のコロンの間にある文字を下から順に読むと、実は「100万に一つを英語で」と書かれていたことに気がつきます。

 

 長くなりましたが、「100万に一つを英語で」と言われれば、もうお分かりかと思います。

 そう、この謎解きの ANSWER"one in a million"

 

 ありがとうございました。

強いられた思考【謎解き】

 一切何も考えていない時間、頭が空っぽの時間というものは、存在するのだろうか。

 この問いは、無意味なのかもしれない。何も考えていない時間があったとしたら、「いま僕は何も考えていないな」ということすら考えていないわけで、現在進行形で"何も考えていない自分"を自覚することはできないからである。

 何の話をしたいかというと、僕には"何も考えていない"がうまくできないという話だ。

 とはいえ別に、頭の中を数式が踊り続けているとかではない。ガリレオじゃあるまいし。僕の頭の中には常にどうでもいいことが流れ込んできていて、それを止める術がわからないのである。よく深夜まで起きているのも、よほど眠くならない限り、布団に入ったとしても何かを考え続けて眠りに入ることができないから、というのが大きな理由の一つだ。

 何もしていなくても流れ込んでくる不要な思考をどう追い出すか。色々と考えた結果、好きなものに没頭することと、自分で思考の題材を用意すること、この2種類の解決方法を思いついた。いや、解決というよりは思考の代替でしかないのだけれど、制御不能だったものを統制下に置けるようになるという意味では解決である。前者は、TWICEの動画を見ることや、ポケモン対戦をすること。後者は、いつもブログに書くような話題について考えることや、ポケモンの構築を考えること。それから、謎解き。

 そう、今回の本題は謎解きである。ここまでの600字近くは、僕が謎解きを作ったことと、ここにそれを公開することへの言い訳であり、こうやって残したブログらしき部分は免罪符なのである。

 

 はい、ということで、思考を埋めることを兼ねて謎解きを作りました。テーマはTWICEです。難易度を含め、比較的解きやすいように構成したつもりですが、量などの関係上、全て解くにはある程度時間がかかることをあらかじめご了承ください。ヒントは、Twitterで直接聞いていただければお答えします。

 作ること自体が楽しいのでそこがゴールでもいいんですけど、ここに足を運んでくれた方のうち、誰か一人でも謎を楽しんでくれたらそれは嬉しいなという思いでいます。

 ※以上の文章は、謎の答えや解く過程において一切関係ありません。

 

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 指示に関するヒント▼

  ここはまだ全体の中間地点であり、大切なものが変化します。ルール説明を見直すと何か

 に気づけるかもしれません。

 ANSWERに関するヒント▼

  もしANSWERと出会えたら、そのとき再びルール説明を見直すことをオススメします。

 

 ANSWERは、以下のリンク先でパスワードとして入力してください。

 正解の場合、クリアページが表示されます。

 https://clamperl2.hatenablog.com/entry/clearpage

 

 

 

※ 差し替え問題(【2】と【4】の2問 )

 

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挨拶

 僕は挨拶が苦手だ。

 

 誰かに会ったときに挨拶が出てこないとか、挨拶をされても返せないとか、礼儀知らず的な意味での「苦手」ではない。いちおう20年ほど人生をやってきているので、さすがに挨拶が交わされるべき場面は理解しているし、そのような場面を迎えれば、挨拶を実行することだってできる。少なくとも、できているつもりだ。

 僕の挨拶に対する「苦手」は、行為に対する能力不足という意味ではなく、どちらかというと「パクチーが苦手」での用法、すなわちその対象への嫌悪感(は言いすぎかもしれないが、それに類するネガティブな感情)という意味が近い。つまり僕は、毎日パクチーを食べさせられながら暮らしている、パクチー嫌いの人間なのである。パクチーが好きな方は、ごめんなさい。

 

 もう少し正確に話そう。僕は、挨拶を「当然したほうが良い行為」として認識できていないのである。

 人間が生まれて初めて挨拶をするのはいつなのだろうか。きっとそれは、言葉なんて到底喋れないような時期の話である。「おばあちゃんでちゅよ〜こんにちは〜」みたいなセリフに対して、自分を抱きかかえている親か誰かが、代わりに上体を傾け、なんなら「こんにちは〜」と勝手に"代返"しながら、お辞儀させられるのが最初の挨拶だ。それからしばらくの間、自分の意思の外で幾度となく挨拶が重ねられていく。

 言葉を喋れるようになったら「挨拶しようね〜」、園児として社会進出を果たすようになったら「ほら、挨拶は?」、義務教育が幕を開けたら「ちゃんと挨拶しなさい」、僕は挨拶を強いられながら成長した。というか、これは僕に限った話ではないと思っている。実際、社会の儀礼やマナーとして挨拶は存在しており、それを周りの大人たちが躾の一環として教えるのは、長い目で見れば間違いなく正しい行いなのだ。

 

 僕が挨拶をわからなくなったのは、小学校で「挨拶をすると気持ちがいい」なる言論を耳にした頃である。挨拶は半ば強制的に「させられるもの」であり、一種の「義務」としてこなしていた身からすると、あまりに斬新な観点だった。挨拶週間や挨拶運動などのような挨拶を定着させる試みも定期的に行われていたが、それらを経たところで結局自分の中に「挨拶の気持ちよさ」を落とし込めず、どことなく気持ち悪さが残ったまま過ごしていた。

 もちろん、今は知識として挨拶の意味や、気持ちいいと言われる所以はわかっている。円滑なコミュニケーションのためのアイテム、本題に入る前のワンクッション、元々は仏教用語で問答の意。わかってはいるのだが、未だに挨拶に対して義務感が拭えたことはないし、したいと思って挨拶をした経験もない。「メールの挨拶文っていらなくない?」といった議論を目にしたことがあるかと思うが、それを日常生活にまで引き延ばした延長線上に僕は立っている。

 自宅のリビングにいて、家族が帰ってきた鍵の音がすると、(『おかえり』って言わなきゃ...)と思いながらリビングの扉が開くまでソワソワしてしまう。向こうから歩いてくる知り合いを発見すると、会話を持つのが面倒であるというのもあるが、そのワンステップ前にそもそも挨拶をしたくないから気づかないふりをしてしまう。誰かと一緒に帰っているときにどちらかが降りる駅が近づいてくると、(この後に適した別れの挨拶をしないとなぁ...)と頭の隅で考えながら会話してしまう。

 そう、僕はどうしようもなく挨拶が苦手なのだ。

 

 休みの日に会う程度には親しい友人が数人いるのだが、待ち合わせ場所で顔を合わせた友人からの第一声が「とりあえず有隣堂行こうか」だったときは思わず笑顔がこぼれた。ノー挨拶、初手有隣堂を決められる人間が身近に存在してくれて本当によかった。別れるときも、毎日学校で会っている高校生どうしみたいに、「じゃ」「また」で帰れるから気が楽な相手である。残念ながら僕は、挨拶の影が薄いほど心地よい。

 話は逸れるが、大学生になった途端に、周りの人々の別れの挨拶のデフォルトがいきなり「お疲れ様」にアプデされたときは、本当に怖くなって泣いてしまった。遊んだ帰りにそれ言われたら、「今日って疲れる日だったの!?」ってなっちゃうじゃん。あと「遊びに行こう」が「飲みに行こう」になる大学生、本当になんなんだろう。もっと遊ぼうよ、みんな。DS版マリオカートの風船バトルとかしようよ。

 正直「お疲れ様」問題に関しては、僕が過敏なだけである。「お疲れ様」は便利な労いの言葉だし、「お疲れ様」の発動条件に疲れたかどうかは関係ないのかもしれない。そもそも、挨拶で発せられる言葉の意味をいちいち考えている人なんてほとんどいないはずなのだ。「今日はご機嫌いかがですか」という気持ちを込めて口に出された「こんにちは」がどれだけ存在するのだろうか。

 ただむしろ、挨拶が意味を持たない言葉であるという事実は、より一層「したほうが良い」の外側へと僕の心を誘うのである。

 

 

 そんな僕にも、大好きな挨拶がある。

 「One in a million! こんにちは〜TWICEで〜す」←これ。

 初めて生で聞いたときに全身の鳥肌が立った挨拶は、後にも先にもこれだけである。いっそのこと、全員自分のオリジナル挨拶を考えて普段使いしていくっていうのはどうですか?ごめんなさい嘘です、考えたくないので。

 

 福岡公演からミナさんがMCにも参加しているということなので、おそらく9人での挨拶が見られるのだろう。大好きな挨拶を、また東京ドームで聞けたら最高だな。

 

WISH

 もう1年以上も前の話である。今年の秋の空気は『YES or YES』によって彩られるのだろう、そんな予感を抱きながら過ごしていた11月の中旬。カムバ直後の、TWICEのステージを漏れなく視聴するために音楽番組の映像を漁る期間である。とある金曜日、KBSが公式Twitterで放送するMusic Bankを僕は眺めていた。TWICEが出るのはだいたい番組後半だとわかっているが、ステージ前トークを目当てにあまり知らないアーティストのステージを垂れ流していたときのことだった。片耳だけ付けていたイヤホンから、やけに僕好みの曲調でアイドルソングが聴こえてきたのだ。

 

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 それがこのDreamNoteのデビュー曲『DREAM NOTE』である。とにかく、初めて聴いたときに直感で好きだなと思った。この動画のリンクを、自分向けのメモのようにツイートした。他の音楽番組にも出演していたから、その先も何回か聞くこととなったわけだが、この秋の出来事はそれで終わった。「『YES or YES』のカムバ期に、他のアイドルの好きな曲を見つけた」という記憶だけが僕の頭には残り、いよいよ寒さが厳しくなってくる頃にはグループ名も忘れた。

 御察しの通り、なんとも珍しいことに、僕はTWICE以外のアイドルについて何かを書こうとしている。これを書くに至ったきっかけのひとつは、今まさにDreamNoteがカムバを迎えているからである。それから、あらかじめ断っておくと、僕は特別このグループについて詳しいわけではない。これは後で分かると思うが、だからこそ書いているというところもある。勢いだけで短めに済ませようと思っているので、少しの間お付き合い願いたい。

 

 TWICEとともに月日は流れ、2019年6月。何がそうさせたのかは分からないが、秋頃に好きな曲と出会ったという記憶が、夏も近づくこの季節に突然引っ張り出された。僕にとってのTwitterは、記憶の貯蔵庫でもある。先述の通り、動画のリンクをツイートしておいたおかげで、無事再会することに成功した。存分に貯蔵庫としての役目を果たしてくれたわけだ。久しぶりに聴いてみても好きだった。ここに来てようやく調べたところ、David Amber氏の作曲だった。『YES or YES』と同じ人じゃん!とテンションが上がり、もう一度ツイートした。それをきっかけに見てくれたFFの方が、わざわざ僕に「よかった」と感想リプを送ってくれ、嬉しかったのをよく覚えている。

 僕の知らない間に (忘れていたのだから知らない間も何もないのだが)、2ndアルバムも出していたのでそのリード曲のMVも視聴した。これまた同じくDavid Amber氏が作曲や編曲を手がけていた。また好きな曲調だったから、なんだか笑えてしまった。

 

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 顔ファンを自称する僕としては初めての経験だったのだが、そんなこんなで楽曲からアイドルを好きになるというルートを辿ることとなった。では、どんなメンバーがいるのだろうか。今まで聴覚に集中させていた神経を視覚に送り込み、曲を聴きがてらMVをじっくり見てみることにした。…………あれ?

 

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 なんかめちゃくちゃ顔が良い女の子いるんですけど???

 

 流石にこの通りに叫んではいないけれど、実際まあまあの声量で「えっ」とは言った。推しを初めて見つけたときの感情を覚えているだろうか?新たな推しと出会うたびに、全てはこの瞬間から始まったんだよな、と思い出すあの感情。

「あれ今すごい顔が良い人いなかった?気のせい?角度とか映り方の問題?あ、また映った、やっぱり可愛いな...うん可愛いよね?ちょっとカメラ速いな、止めてもらえる?また映った!えっ、あれ誰なんだろうマジで、調べよっと」

 個人的な経験でしかないが、動画だったらこんな焦燥感とともに訪れる印象がある。もう味わうことはないと半ば確信していた衝撃を、油断していたところで久々に食らってしまった。とりあえず、TWICEを推す中で培ったK-POPコンテンツ情報網を生かし、画像や動画を次から次へと消化していった。

 

 彼女の名前はハンビョル。2003年10月13日生まれのグループ最年少だ。最年少のメンバーを好きになりがちなのは、その年齢でもグループに加入させるべきだと判断されるルックスを兼ね備えているから、という因果関係があるのではないだろうか。知らんけど。

 思うに「可愛い」には狭間がある。ある程度の年齢以下の子どもに対する「可愛い」は、およそ小動物的な枠組みで見た可愛さの視線であって、それを表明することで一般的には子ども好きというレッテルを得られる。また、自分よりも少しだけ歳下、あるいはそれ以上の年齢の相手に対する「可愛い」は、容姿の端麗さへの純粋な称賛であったり、嫌な言い方をすればときには評価であったり、何らかの形でひとつの意見として機能しているように思う。問題は、この両者の間にある「可愛い」である。どこからどこまで、と明確に線引きできるものではないのだが、個人的になんとなく言いづらい範囲があるのだ。気にしなくてもいいレベルの、本当になんとなく。そして、僕にとっての2003年生まれはその狭間に該当する。

 仮に日本デビューが決まって、仮にショーケースなんかが用意されて、仮に接触イベントが開催されても、参加に一切躊躇しないと言ったら嘘になるな、と思った。これは、想定されるファン層と自分との比較でもある。今はやっぱりTWICEに情熱を注いでいたいということもあるし、積極的な関与はしづらいけれど活動はしっかり追っていくことにしようと決めた。なにせハンビョルさんの顔が好きなので。言い忘れていたけれど、他のメンバーも綺麗な顔立ちなのである。

 

 ところで、僕が持つK-POP業界についての知識はかなり限られている。そもそも、偶然TWICEを好きになったオタクでしかないから、名前だけ知っているアイドルグループがたくさんいるという状態だ。どのグループがどの事務所所属だとか、それぞれのデビューまでの経緯だとか、正直ほとんどあやふやなままここまで来た。グループの知名度も公式垢のフォロワー数でしか判断できない。だから、僕の感性がこの世界の多数派が持つ正しさの軸に乗っているかはわからないのだけれど、DreamNoteを調べる中で、大好物であるDance Practiceの動画にまでたどり着いたとき、見ていて気持ちのいいダンスに美しさを感じた。

 

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  単純な動きで構成されているからなのか、メンバー同士の背格好が比較的近いからなのか、動きが揃った瞬間、異様に統率が取れているように見えるな、と思った。0:14付近の急激な時間の止まり方とか。2:28からのメンバーが前後に重なるシーン、テンポが早いわりに後ろのメンバーがかなり正確に隠れるの楽しすぎる。

 

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 0:34の部分、全員の左足の移動距離と速度が揃ってるせいで、初めて見たときに床がスライドしているような錯覚にとらわれてひとりでウケた。ところどころ挟まる手拍子も、8人いるにしてはあまりに1音だし。個々の力だけでどうにかなる話ではないから、全員でたくさん練習したんだろうなと思うと好きになってしまう。

 

 僕のどうでもいい感想は置いておいて、とりあえずこうして無事好きになり、たまに動画を見たり曲を聴いたりしながら、次のカムバを心待ちにしていた。そうして迎えた2019年9月、いやに改まった公式ツイートが僕のTLに現れた。

 今まで目にした覚えがないのだが、「"안녕하세요.(事務所名)입니다." + URL」という構成のツイート、リンク先にいいお知らせが載っているパターンは存在するのだろうか?不安を抱えながら恐る恐る開くと、概ねこんな内容が記されていた。

「メンバーのハビンが足の怪我を理由に、ハンビョルが学業専念を理由にグループを脱退し、今後は6人体制で活動する」

 好きになったアイドルが、自分の前から姿を消した瞬間だった。

 

 好きであると公言するほど好きになっていく、というのはよくあることだ。僕はたまに言及するという程度だったから、その例には該当せず、寂しくありつつも一旦普通に受け入れた。少しの距離をもって応援すると自分で決めていたし、リアルタイムで8人の活動を見たのはそれこそあの秋頃の音楽番組だけだったし、そうそう、元は曲から好きになったわけだし。彼女を見られないのは残念だけど、仕方ない。彼女にとっては、これがより良い道なのかもしれない。そう諦めた。これが夏の終わりの話である。

 季節がひとつぶん進んで年末、日本でのイベントが告知された。年始のカムバックも発表された。アルバムジャケットやティーザー映像が流れ込む。MVを見てみると、作曲家は違ったけれど、なかなかに好きな曲だった。Music Bankの映像を検索すると、メンバーの動きは相変わらず揃っていた。赤基調の衣装が4人と黒基調の衣装が2人だった。この辺で急に寂しくなって、何か書き残そうと思い立った。

 

 初めて出会ったあの秋に、好きだと思った感情を軽く流さなければよかったのかもしれない。再会を果たしたあの夏の初めに、力を注げばよかったのかもしれない。現実的に考えて、どれだけ推していても、9月までの間に会いに行く選択を取ることはできなかっただろうけれど、もう少しマシなやりようがあったと思う。

 iTunesじゃなくて、円盤を今からでも買おうかなと思った。Amazonで1stアルバムを調べてみたら、廃盤と表示された。タワレコHMVも取り扱っていなかった。中古なら少し見つかるというくらいの品揃えになっていた。(どこかで新品の『Dreamlike』を見つけたら買っておいてください、僕が買い取るので)

 僕にこの文章を書かせたのは、好きなアイドルを布教したい!といった動機ではなくて、後悔とか懺悔とか、どちらかと言うとそういった後ろ暗い気持ちである。同じ轍は踏まないぞ、という決意表明でもある。推しは推せるうちに推せ、そういうことだ。

 

 僕の話はこれで終わり。もちろん、彼女たちのことは応援し続けようと思っている。スミンさん綺麗だし。ただ、どんなアイドルについても「応援し続けられる」と信じ込んではいけないのだ。物事には、制御できない終わりが訪れる。そのためにも、好きだという気持ちはそれに気づいた瞬間に大切にしたい。最後に、これを読んでくれた皆様が、素敵なオタクライフを過ごせることを願っています。

 

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널 몰랐었던 날 모든 게 아쉬워 (あなたを知らなかった日 その全てが惜しい)