人生でいちばん楽しかった時間の話

  • プロローグ

 いきなり自分のツイートなんか掲げてしまって申し訳ない。でも、ここから話を始めるのが理にかなっているはずだ。

 このツイートをした日、すなわち8月9日は、ONCE JAPANのトップページにシブヤノオト番組協力者募集のお知らせが現れた日である。僕は、去年放送されたシブヤノオトが大好きだった。司会は不在、TWICEだけでところどころ躓きながらも賑やかに進んでいく全体の進行が最高だったし、あんなに近くでTWICEのステージを見られたらなぁと夢見たものだった。そう、そのチャンスが今年も巡ってきたわけだ。そりゃあ、心の声ダダ漏れのツイートだってしてしまう。そして10日ほど経った僕がこちら。

 TWICEありがとう。夢が現実となればもちろんふぁぼ数も増える。当選を確認した瞬間、すべての血液が一度心臓に集合してから爆速で全身に駆け戻っていくのを感じた。今回は小さなスタジオではなくてNHKホールだったから、どのくらい近くで見られるのかは当日までわからなかった。それでも、ずっと行きたかった場所に行ける喜び、その大きさは計り知れない。Mステに初出演するアーティスト、オリンピック出場が決まったアスリート、シブヤノオトに当選したオタク。気持ちのベクトルは近いはずだ。

 

 シブヤノオトに向けた僕の強い思いについてはここまで。本題に移ろう。

 言い忘れていたけれど、この文章はNHKホールから帰ってその日に書いている。今は日付を回ったあたりだ。この場所を、今日の感情を保管しておくビンの代わりに使いたい。あの場で抱いた気持ちはすでに薄れ始めていると思うけど、できるだけ新鮮なうちに詰めておこうと思う。全てを事細かには書かないものの、ネタバレは避けたいから、これを公開するのは番組が放送された後の僕に任せる。

 番組収録は8月26日。開演は予定より少し遅れて18時くらいだっただろうか。僕はその開演から19時半の収録終了まで、そして収録が終わった後も、さらには今このときもずっと思い続けている。これは僕の人生でいちばん楽しい時間だ、いちばん楽しかった時間だと。

 

  • 開演

 『LIKEY』のイントロが流れる。TWICEのシルエットが白い幕にくっきりと映る。幕がサッと落ちてTWICEが現れる。

 素晴らしい。最高。さすがにオープニングとして放送されるはずだから、これを読んでくれている皆さんも絵面は把握していることだろう。あれ、いいですよね。やっぱり一瞬で出てきてほしい。心臓に負担をかけたい。

 幕が落ちる演出で僕はドームツアーを思い出した。思い出しはしたんだけど、決定的に違う。東京ドームの真ん中で幕が落ちた瞬間に見えたのは、僕がスタンド席だったこともあって「TWICEらしき人影」だった。つまり、それがTWICEであることを肉眼という自分の主観的感覚によって確認することは難しかった。しかし、今日は違う。そこに現れたのは絶対に「TWICE」だった。僕が写真や動画で幾度となく見てきた彼女たちがそこにはいた。見間違えるはずもない。表情までこの目で分かるのだから。

 ライブでいちばん心拍数が高い瞬間、それは登場の瞬間だろうと今日まで僕は思っていた。遠くにいたはずの存在がすぐ近くに現れる、その急激な変化が興奮を喚起するからだ。一方で、ステージが始まって少し経つとすぐ近くにいることが当たり前のように思えてどこか感覚が麻痺してしまう。だから登場時と距離は同じなのに興奮状態が少し抑えられる。そんなふうに考えていた。概ね間違ってはいない。

 僕がシブヤノオトの収録中にずっと感じていたのは「自分がここにいて、TWICEがそこにいる」という実感だった。感覚が麻痺することなんてなかった。TWICEは僕にとっての「そこ」にずっと立っていて、踊っていて、話していて、笑っていた。その実感は心拍数を最高点でキープするのだ。モモさんの全身がすぐそこで躍動している、そんなダンスパートに合わせて入れるコール、気持ちよくて楽しいに決まってるんだよな。

 

  • 『YES or YES』

 この曲についてだけ、個別の見出しをつけさせてもらうことにする。今日のセットリストの中で、開幕2曲目で披露された『YES or YES』が僕のいちばん好きな曲だった。いちばんたくさん聴いた曲でもあると思う。曲に合わせてコールを入れ、新品のキャンディーボンZを一生懸命振っていたら次第に泣けてきてしまった。

 多くの人はそうだろうと思うけれど、僕が音楽を聴くのは一人でいるときだ。通学中の電車の中、大学での空き時間、自室に篭っているとき。『YES or YES』もそういう一人の時間によく聴いていた。誰かに話しかけられれば音楽を止めてイヤホンを取る。身近にワンスがいないからTwitter以外で曲について話すような機会もない。そのTwitterだって一人の時間に使うものだ。そう、気づけば僕にとってTWICEの音楽は「一人であること」とセットの存在になっていた。

 目の前ではTWICEが激しいダンスを踊っていた。手足の筋肉が揺れるのまでちゃんと見える。会場にはワンスの絶叫に近い声援と"YES or YES!"が響き渡っている。歌う側も聴く側も「一人であること」とは真逆の状態だった。どちらも凄まじい重量感でそこにいる。そのとき僕は、どこまでも純粋に楽しいと思った。今日まで聴き込んできたのはこの時間のためだったのかと錯覚するくらいに。TWICEのメンバーも含めて、みんなにも僕のような一人の時間の『YES or YES』が今日まで積まれていたのだろうか。とにかく、その4分間の楽しさは泣けるほどだったって話は書き残しておきたい。

 

  • パフォーマンス以外

 VTRの時間ってどうなるんだろう?とね、行く前は思っていた。VTRの時間もTWICEの皆さんはステージにいらっしゃるんだよね。モニターの映像よりそこにいる本物を見てしまう。放送ではVTRへのメンバーのリアクションが小窓で映るのだろうか。メンバー全員のリアクションを見ながらVTRを楽しめたのはとても良かった。照れたりからかい合ったりしてるの、ずっと見ていたい。

 個人的に嬉しかったのは、VTRを見ながらTWICEと一緒に笑えたことかもしれない。面白いメンバーのVTR、普段アップされるような動画も含め、そういった映像は「面白いコンテンツ」としてTwitterなんかに流れたりしてワンスが楽しむものだ。あえて強い言い方をすれば消費されるものだ。それを当人たちと一緒に見て、同じタイミングで笑ったら、「面白いコンテンツ」だったものが「楽しい経験」に変わった。映像それ自体ではなく、映像を見ることに価値が移動したと言えば伝わるだろうか。TWICEと同じ立場で経験を共有することで、番組観覧じゃなくて番組協力なんだな、と思わされた。

 あと、ファンのメッセージを韓国人メンバーが読むところは、いろいろな意味で毎秒見逃せない部分になってた気がする。ノーカットだといいな。目の前でVLIVE始まったのかと思った。近くで見る台本のないやり取りのリアリティ。ただただ嬉しい。

 

  • アンコールまで

 アンコール前最後の1曲は『FANCY』。韓国での音楽番組の映像はよく見ていたし、比較的記憶にも新しかったから、脳内にあるその映像と重なってテンションが上がっていた。アンコールの存在は分かっていたけど、一応最後の曲と言われたこともあって特に盛り上がっていたわけだ。そういえば、日本語バージョンは初披露ってことになるのかな。それから、最初一列に並ぶとき、前ならえみたいにしてて可愛かったです。

 で、"Fancy, ooh!"とやりまして、ラストのサビを迎えたところで、音楽番組の映像をトレースしている僕の頭の中では紙吹雪が舞う予定が立っている。番組によってどこで紙吹雪を発射するかが少しずつ違うんだけど、ナヨンさんの"너"に合わせるのがお気に入りのタイミングだった。シブヤノオトはまさにその気持ちいいタイミングでパーン!とやってくれた。本当にありがとう。世界は救われた。

 ここからは自分でも驚いた話なんだけど、そのパーン!で僕は無意識に叫んでしまった。当然盛り上がる局面だし大量のワンスが叫んでるから行為自体は別に目立たない。ただ、僕には叫ぼうという意思はなかった。例えば、イムナヨンユジョンヨン...とコールするときは意識的にやるはずだ。慣れてるから身体が勝手にとは言っても、途中で止めることが可能だという意味で意識のもとにある。また、ブリッジパートと呼ばれる部分で叫ぶのもお決まり的なところがある。しかし、あの瞬間に出た叫び声は、そういうものとは一線を画した感情の暴発だった。頭の中で思い描いていた景色が、あまりにもそのまま目の前に広がってしまったゆえの暴発。TWICEは自分も知らない感情の扉をこじ開けてくる。ここにこんな感情置いてあったの?ってなるね、ほんとに。

 そう、コールで思い出したから、もう一つ書き残しておこう。アンコールの前とかステージの整備とかで休憩に入る時間が何度かあって、そういう隙間時間もTWICEの曲が会場には流れる。そこにワンスが控えめにコールを入れるんだよね。あれはなんだ、コールの素振り?コールの素振りって何?楽しかった。

 

  • アンコール〜終演

 やっぱり『Pink Lemonade』の話をするべきなのだろうか。率直な感想として「ハイタッチ会とはなんだったのか」と思わされたね。昨日ハイタッチ会に参加していただけに。「自分がここにいて、TWICEもここにいる」って状態。僕も十分近くまで来てくれたという感覚はあったが、通路近くの座席だったワンスはどんな気持ちであの時間を過ごしていたのだろう。彼らへの羨ましさもなかったとは言わない。ただ、あの演出のために座席側の照明も点灯し、身を乗り出したり手を振ったり一緒に歌ったり、そしてそれにTWICEが応えてくれる時間、僕は満面の笑みで過ごしていたはずだ。放送で映ってたら恥ずかしいくらいに。

 最後の『Dance The Night Away』を聴きながら、過ぎ去って行ってしまうこの夏の夜のことを想った。あっという間とは感じない1時間半だった。映画を見たり小説を読んだり、もしかしたらドームツアーもそうだったかもしれない、没頭してしまって現実味が薄くなるような、夢心地の時間を僕はよくあっという間に流れたと感じていた。それに対して、今日の1時間半は「実体」を持っていたように思う。僕がいつも過ごしている時間としての1時間半、人生の中にちゃんと位置づけられる1時間半だった。別の世界にいったん飛び出して、終わってから元の世界に戻ってきた、という感覚ではなくて、地に足のついた自分の世界の中でTWICEと過ごせたのが本当に楽しかった。

 終わった直後にどうしても言いたくなって呟いたツイート。今までの人生の楽しかった様々な思い出を押しのけていちばん上に乗っかったというわけではなくて、今日の時間が人生の楽しさの上限を新たに解放して、それで生まれたスペースに思い出として入り込んできたような、そんな気分だった。なんだか、登場する感情が「楽しい」ばかりの単調な文章になってしまった。でも仕方ないか。本当に「楽しい」ばかりの時間だった。

 

  • エピローグ

 ここまでで書いていないことはまだまだある。全ての瞬間が楽しくて、書き切ることはできないからだ。もちろん、あえて書いていないこともある。座席の場所を明記したら放送で映ったときに困るし。ちなみに座席についてだけど、会場の入り口で荷物検査とともに座席の書かれた小さな半券がランダムに渡されるシステムだった。その半券は自分の部屋に大事にしまっておこうと思う。 NHKホールとキャンディーボンを一緒に写した写真よりも「本物」だ。

 最後に、ちょっと昔の話をさせてほしい。数年前までの僕は、ライブに漠然とした恐怖心を抱いていた。より一般的に言うと、大勢の人が盛り上がっている場所が得意じゃなかった。今でも文化祭なんかに参加するとかなり緊張してしまうし、大人数での飲み会には行くことができない。その理由は、自分が盛り上がる側に入り込めないところにあると最近気づいた。大勢で食事に行って笑いあってる途中でトイレに抜けると、一度冷静になっている自分と出会いませんか?手を洗っているとき、鏡の前とかで。その低温を集団の中で自分だけが抱いてしまう状況、これが怖い。

 でも、TWICEのステージを見ている僕に、低温は訪れなかった。ドームツアーに参加してそれを実感したとき、正直ホッとした。公演中ずっと、盛り上がる側に立っていられる。TWICEが「ワンス〜〜〜」と呼びかけている人々の中に自分は含まれているのかという問いを僕はよく考えるけれど、東京ドームにいるときはこれなら自分も含まれているかもな、と思えた。さて、今日の僕は「選ばれし1900名のワンスの皆さん」のうちの一人だった。自分はワンスである、ということをこんなにも確信できた時間は今まで無かった。サナさんの「ワンスの皆さん!」という呼びかけに、無心でキャンディーボンZを振り回せる時間は幸せだなと思った。

 ......長くなってしまった。今日のこの時間の存在を確定させた、人生の分岐点がどこにあったのかはわからない。わからないけれど、とりあえず、アイドルの良さを伝えてくれた人、TWICEを好きになるための後押しをしてくれた人、ライブの興奮を教えてくれた人、そういった人たちには本当に感謝したい。そして、TWICEにも。ありがとうございました。

 

 

  • 蛇足(『Feel Special』後の僕)

 ここからは9月になってからの僕が担当する。ひと月前にあえて書かなかったことのうち、今となっては書いたほうがいいように思われる感想を少しばかり付け足したい。『Feel Special』のカムバが、9人でのカムバがこの部分を書くに至った理由である。実は18日の段階でここを一度書き加えている。9人が揃って写った金色の『Feel Special』の画像が公開された日だ。しかし、23日にいよいよMVを受け取ってみたところ、またしてもだいぶ激しく気持ちに変化が訪れたので手直しを施そうと思う。現在の日時、25日午前3時すぎ。

 この蛇足より上の部分、つまり帰ってその日に書いた部分は、鮮度の高い気持ちをそのまま残しておきたくて一字一句当初のものから変えていない。それなのに、今読んでみると『Feel Special』に少しだけ重なるような気がする。大勢の中でいなくなってもわからないような僕が、ワンスと呼びかけるTWICEの声で圧倒的な喜びを得たよ、って話でひと月前の僕は筆を置いたのだ。この文章のタイトルが「Feel Special」であったとしても、おそらく違和感は覚えないだろう。TWICEが、僕にとって歌詞の通りの存在、肯定を与える存在としてそこにいてくれることを図らずしも突きつけられた。まずこれが付け足したくなったことのひとつめ。

 ふたつめ。シブヤノオトでのTWICEは、ミナさんを除いた8人でNHKホールのステージに立っていた。ひと月前の僕がミナさんの不在に言及しなかったのは、それが自分の中でのルールだったからである。9人のTWICEの影を追うことは僕の身勝手であり、確かに心に抱いた理想の一つではあったものの、それをいちばんに願うべきではないという確信があった。最終的にその理想が叶うとしても、より優先されるべき通過点がいくつもあると感じていた。要するに、感情が思い描く理想と、理性が見据える現実との折り合いがつかないから、いっそのこと沈黙を貫こうと決めたわけだ。何かを傷つけるリスクを冒すくらいなら何もしないことを僕はいつも選択してしまう。

 ただ、完全とは言わないまでも、ミナさんは『Feel Special』に参加することを選んでくれた。ミナさんにとって、TWICEにとって、大げさなことを言えばこの世界にとって、どの選択が最善であるかなんてことはきっと誰にもわからないし、それを過度に賛美するのも非難するのもどこかしこりが残る気はする。実際、ステージにはまだ戻って来ていないという現実もある。それでも、久々に全員揃った姿を見せてくれたという事実と、その姿に対して激しく揺れ動いた感情は間違いなくそこにあって、18日の0時、先に述べた画像がアップされたとき、「あぁ、これがTWICEだよな...」と沈黙の下に伏せていた気持ちを叩き起こされた。だから、自分に敷いた箝口令をこの場で一旦解こうと思った。

 8人でのパフォーマンスが不十分だったと言うつもりは一切ない。当日の夜に長々と書いた気持ちは全部本物だ。ただ、あのもう一段上に9人での完成されたTWICEが存在するのも事実であって、それを目にしたときに満を持して解放されるための余地が、僕の感情には伸び代としてまだ残っているのだと思う。その伸び代を解放するのは別のきっかけかもしれないけれど、少なくともあの日の感情が真の意味での上限ではないということは確かだ。

 「上限ではない」が意味するのは、まだ見ぬ上限の存在である。蛇足と分かっていながらも、余計に何百文字も付け足してまで言いたかったのはつまりこういうことだ。一歩、いや半歩かもしれないけれど、理想に近づいた気がするから身勝手な願いをここに込めさせてほしい。 

 僕のいちばん楽しい時間を、TWICEはきっとまた更新してくれる。

 Again I feel special.